“ゆき”をさがして





薄暗い灰色の霧がかかった広い大通りの交差点に、由紀子は立ち尽くしていた。
「今日もここに来てしまったのか。。。」
2月、真冬だというのに、白いノースリーブのワンピース。
しかし、寒さを感じない。
そう、これは夢。いつもこの場所から、この格好で、真夜中の霧の中始まる夢。
霞んだ三日月がまるで東山魁夷の画の中にひきずりこんだような淡い蒼い光りを放つ。
「とりあえず。。。あの店に行かなきゃ。。。」
ふわり、と雲の上を歩く感触の一歩。そして彷徨う夜が始まった。

由紀子が始めてこの夢を見るようになってから既に2年は経っただろうか。。。
始めてのその夜の衝撃は、今も、肌に、記憶に、ぴりぴりと焼き付いていて離れない。
求めて広い大通りから行き止まりのある狭い路地まで歩き回った微妙なけだるさ。
目が覚めてなお、小さく震えていた膝。
さすがに夢の中で歩き回るのにも慣れた今ではそのだるさも、
懐かしい思い出のようなものなのだけど。。。

その夢の中での由紀子の探し物は、一軒の喫茶店だった。
とてもとても懐かしい、20歳になりたての、
後に夫となる義久と知り合う以前にほんの数回通っただけの喫茶店。

その店のことで由紀子がはっきりと記憶しているのは、
店の中で流れていた喘ぐような黒人女性シンガーの歌声だったり、
けだるいシャンソンだったり。
ジャズやシャンソンの、メジャーなタイトルさえよく知らなかった、
音楽といえば日本のアイドルしか聞いたことのなかった由紀子にとって、
その店は未知への扉でもあり、少女であった自分が大人になったような錯覚をくれる場所であった。
が、その錯覚が心地よかったのも、最初のほんの数ヶ月間だけで、
だんだんとそこは居づらい場所になってゆく。 
いつから行かなくなったのだろう。。。
通い始めたそもそものきっかけは既に記憶になく、
背伸びして砂糖を入れないコーヒーをすする感じが、
何も知らなかった由紀子に親切にいろいろな教えてくれるマスターが、
大人ばかりの他のお客さんが息苦しくて、自然と足が遠のいた、
胸の痛い思い出だけが残っている店だった。。。



そして今夜も。。。。。

「あの角を曲がって少し入った所。。。」

――何故、今更、私はあの店を捜しているのだろう。
苦い疑問を抱えながら、かすかな記憶を頼りにその店を捜す。

角を曲がる。
路地に入る。
しかし、そこに目指す店はいつもない。
また、もと来た道を戻り、広い通りに出る。
霧がかって、霞む道路の両脇。真っ直ぐ前に伸びる道の先の向うも、
やがて霧に隠れて途切れてしまっている。
――あの霧の向こう――
確証は何も無い。ただ、そんな気がするだけ。
白く霞んで途切れた一点に向かってまた歩き出す。一歩、一歩、その霧が近づいてくる。
やがて、周囲はだんだんとぼやけた風景になってゆき、
自分自身も白い霞をまとうような感覚に包まれながら歩くことをやめない。
そのうち霧は晴れてきて、目の前に広い港が広がった。

同時に、一軒の建物。

ガラス張りの外観、外から見えるおしゃれなカウンターバー。
青い細い蛍光の看板。ひらがなで一言。
――ゆき――
重いガラスのドアを開けて店内に入る。
背の高いカウンターの丸い椅子は座ると足が地面に届かない。
重力に逆らわず、するりと脱げ落ちそうな白いミュールを、
つま先でひっかけてぶらぶらさせながら砂糖の入っていないコーヒーをすする。

そこで、夢は終った。



カーテンの隙間から日差しが入る。
隣りの布団ではまだ義久が寝息をたてている。
時計は、5時45分。
「少し早いかな。。。」
小さくため息をつきながら布団を出て、パジャマのまま、
水色のカーディガンをはおって台所に出る。
「牛乳・卵。。。あぁブロッコリーが中途半端に余ってるなぁ。。。
これはお弁当に使っちゃえ。。。お弁当、夕べの肉じゃがを卵で閉じて。。。」
独り言は既に無意識。冷蔵庫を眺めながら手順が頭の中から口を伝って零れてくる。
材料をステンレスのキッチンの隅に置き、食パンをトースターに放り込み、
あとは焼くだけの状態にしてしまうと、残された時間でくつろぐことにする。
どうせ、家族は夫の義久と、1歳半の息子が一人。
年頃の学校に通う子供を持つ友人達から話しに聞く、朝の戦場はここにはまだない。

お湯を沸かして、コーヒーを入れる。
昔は砂糖をたっぷり入れたコーヒーも、今ではほんの少し牛乳を入れるだけ。
『出産後はカルシウムが激減してますから。
ちょっとしたことでも気をつけて摂取しなきゃだめだよ。
コーヒーに牛乳を入れる程度の心遣いでも違いますよ。』
牛乳の匂いがまざるコーヒーを口にすると、
出産入院中、世話になった助産婦さんの言葉がいつも蘇る。
乳製品があまり好きではなかった由紀子に、その助言はなかなか実行し難く、
胸に刺さっていたが、「コーヒーに入れる程度」だけ、
意識して続けているうちに、「コーヒーに牛乳を入れるだけ」であれば、
牛乳の匂いが気にならなくなって来た。

しかし。。。

テーブルの義久の席に用意されたガラスのコップを見てまたため息をつく。
義久は毎日朝と風呂上りに牛乳を飲む。
結婚前、付き合っていた頃や新婚当初、子供を産む前までは、
さして気にも止めなかったその習慣が、
妊娠がわかったその頃から妙な具合にしこりになって、
胸に、もやもやととぐろを巻く。

妊娠を期に、いろいろな事がダメになっていく。。。
小さな小さな針の穴がどんどん増えて、そこから得体の知れない煙が溢れ出て来て、
ココロを、意識を、支配してゆく。

由紀子は、妊娠4ヶ月の頃、ふとしたすれ違いがきっかけで
義久を受け入れることができなくなってしまっていた。



――いっそ、外でそういう仕事の人とでも済ませて来てくれればいいのに。
薄い痣の残る両手首が頭を抱える。
拒む由紀子の両手首を掴み強引に遂げようとした義久がつけた痣。
しかし結局は由紀子の頑なさに折れて事を成せずに過ぎてゆく夜。
それは数日おきに繰り返される秘密。
誰も知らない夫婦だけの秘密。
じわじわと岩に窪みを作る雨だれのような秘密。
暑い夏にも長袖のシャツを着て痣を隠す由紀子。
この不安定な夫婦生活を誰にも相談できずにいる義久。
いつかこの雨だれは固いその岩を真っ二つに砕くだろう。



――それにしても、夕べの夢。。。。。
店には辿り着いた。
この夢を見て、目的の店を発見して、中に入れる事は10回に一度くらいだろうか。。。
道の向うに店を見つけて、走り寄るけれど、いざその場所まで辿り着いてみれば
蜃気楼のように消えていることの方が多い。

そして、とても少ない確立で店に辿り着き入れたとしても、
――夕べも違った。。。あの店。。。
それは由紀子の知る『のあ』ではなく、全然違う『のあ』
店の外装も、内装も、看板も。
そして何より決定的な違い。

音楽が聞こえない。

――あの店はいつも。。。。。



いつも店内に漂っていた重いジャズを、記憶の底で掘り起こして
掴むように思い出そうと試みる。
丁度音楽の断片が目の前の空をよぎりはじめた、
あぁもう少しで指先が捉えそうだと感じた瞬間、
テレビのタイマーが入って朝のニュースが流れ初めた。
「あぁ。。。時間。。。」
ココロの隅にふしふしと音をたて細い煙を立ち上げながら重くべたつかせる燃えカスを
無理やり押し鎮める。
「お父さん、朝ご飯よ。起きて」
寝室に向かって声を張り上げ、トースターのスイッチを入れる。
目は既に覚めているはずなので、後は布団から抜け出すだけ。
トーストにマーマレードを塗る頃には食卓についているだろう。
娘の万里子はまだ起きていない様子で、とても静かだ。
案の定、トースターがこんがりと香ばしい匂いを流しながら、
軽いチンという音を上げるのと頃を同じくして、義久が顔を見せる。
夕べの一悶着がまだわだかまりとなっているのか由紀子の顔も見ずに
黙って食卓の椅子に座る。
パンにマーマレードを塗る由紀子の手首の薄蒼い痣を目の隅で捕えて、
眉をほんの少しだけしかめる。
が、由紀子は義久のその複雑な表情に気づくことなく、トーストを皿に乗せ差し出すと、
そのまま背を向け牛乳を取るために冷蔵庫に向かった。
甘酸っぱいマーマレードのトーストの端をかじりながら
透明のグラスに牛乳が満たされていくのをじっと見つめる。
――自分は今このグラスほども満たされていないのではないだろうか。
夫婦の関係がSEXのみで形成されるものではないだろう。





「まぁ、子供が出来れば女はいろいろ変わるからなぁ」
夕暮れの大衆居酒屋で安い焼酎のコップを目の前でぶらぶらさせながら
義久の旧友、澤田が、無責任に吐き出す。

その日初めて義久は第三者にこの夫婦関係を口にした。
「もう女じゃなくて母親さ」
「そうかもなぁ。。。」
「うちだって散々惚れたはれたでくっついたってのに今じゃ息子のがいいんだぜ」
「そうかもなぁ。。。」
「いっそさ、外でヤっちまえばいいじゃないか」
ただうな垂れる義久に澤田が囁く。
「風俗でも何でも、さ」
「そんな。。。それは。。。いくら何でもダメだろう」
「どうせ女房はダメなんだろう?家庭さえ壊さなきゃ大丈夫さ」
――こいつに相談したのは間違いだったかな。。。
義久は心の隅でちらりと後悔した。
「本来あるべき夫婦生活を怠ってるんだぜ?
だったら外で何したって文句言えないはずさ」
「そういう問題でもないだろう。。。」
「そんなにおまえを悩ませる奥さんに義理立てする必要はないんだぜ?」
重く溜息をつく義久にだんだんとイライラが隠せなくなる。
「案外、外でヤっちまってるのは奥さんの方だったりしてな」
黙っているつもりだった意地の悪い発想が口をつく。
「外でって、どういうことだよそれは」
案の定、澤田の言葉を上の空で流し続けていた義久が眉間にしわを寄せて顔を上げる。
「だからさ、外で他にオトコができて、それで旦那とはもう。。。てね」
「そんなこと!あいつに。。。由紀子に限って。。。」
「よくある話さ。まぁそんな話もあるってことさ。気にするなよ」
言いたい事を言いたいだけ言って澤田は後は知らん顔でコップに残った焼酎をあおった。



――外に他のオトコ。。。。。

そんな可能性、今まで考えてもみなかった。

由紀子が自分を拒む理由は“アレ”が原因だと信じていたから。



妊娠4ヶ月頃のあの日。





――そういえば。。。あの夢を見るようになったのもあの頃よね。。。

今日は義久は飲みに行っているはずだから、晩御飯はいらない。
普段もそんなに帰りの早い夫ではないので、夕暮れも急ぐことはないが
晩御飯の準備がいらないというのは、気が楽になる。
添い寝で眠る息子の暖かい足をさすりながらぼんやりと考える。



妊娠した体をいたわって、行為そのものを要求することはなかったが、
週に一度ほど、どうしても
「口でいいから」
とねだられる。
――そんなにまでして?
体の深い部分で溜まったものを出してしまいたい気持ちが今ひとつ理解できない。
――何もこんな状態の自分でなくても。。。

つわりが“ちょっと食欲が無い”程度ですんでいるのも原因なのか、
普通に自分の分の食事を用意してくれる妻を見て、
「あぁ元気に子供も育っているな」
と思うのが精一杯で、
“自分の体内に自分とは違う生き物が育っている”
その感覚に、不安と期待の狭間で揺らぐ不安定な精神を、義久は理解できない。

「外でしてきてもいいのよ」
と、一度だけ言った。
「オレがそんな不貞を働くような男だと思うのか!?」
精一杯の思いやりのつもりで言った言葉だったが、逆効果となってしまった。
「すぐに出すから。。。。。」
ほぼ強要されて口に含まされたそれは気味の悪い生き物でしかない。
生きて動く未知の物体が喉をふさいで支配する。
「オレには由紀子だけだから。。。」

――浮気をしない事だけが妻を大切に扱っていることだと思うのだろうか?

今はただ触れれば割れそうな薄い瓶を真綿にくるんで眺めるだけのように、
ただ、ただ、そっとしておいてほしい。。。
それは我侭なのだろうか?

言い様のない漠然とした不安がすっぱい臭いを放ちながら胸の底から込み上げてくる。

由紀子は、とうとう吐いてしまった。



つわりは、悪化してゆく。

自分の性的衝動を満たしてもらうどころか、
オトコとしてのプライドを嘔吐物と一緒に吐き出されたショックが、
由紀子の心身の変化を認めない。

肉を見ただけで吐き気がこみあげてくる、食卓に肉料理が出なくなる。
買い物に行くのが苦しくて、朝食に牛乳が出ない日が続く。
動き回る事がだるくて、干される回数が減る布団、部屋の隅に溜まる洗濯物。
そんなささいな事が、つわりの名を借りた嫌がらせのように思えてしまい、
不機嫌と衝突の原因になる日々。



それでも、産まれた子供は可愛かった。
子はかすがいと言う。
妊娠中のぎくしゃくした夫婦生活もこれで戻るだろうと、義久は淡い期待を抱いた。

が、一度男性に対して抱いてしまった“物体”のイメージは消えない。
育児の慌しさの中、求められてくるそれは、映画のエイリアンのように、
イメージを不気味に増殖させてゆく。

医者から許可をもらい、肉体が元の元気な女性に戻り始めていても、
由紀子は夫を受け入れることができなかった。

お互いに、労わるべき部分と方法がすれ違っているのだろう。
頭では理解できていても、感情がついてゆかずに、
すれ違いは広がり溝は深くなる。





あの夢。。。
いつもどんな時に見ていたのかしら。。。

見るようになった時期が義久をはっきりと拒否したあの日と重なる。

何か。。。関連があるのかしら。。。



一度だけ、探すその店に「たどり着いた」と思ったほど、近づけたことがある。

木造の古いアメリカ映画に出てくるようなログ調の小さな建物。
思い木の扉を開けて中に入ると、期待を裏切らないカントリー風のカウンターと椅子。
擦り切れたレコードから流れる耳懐かしいウェスタン。
素朴な木の椅子に座れば、柔らかい香りのコーヒー。

あの時は、何故、結局違うと思ってしまったのかしら。。。
あぁ、そうだ。
コーヒーだ。
あの店のコーヒーの香りはもっと。。。。。





――オトコ?他のオトコ?。。。
――オレの稼いだ金で暮らしながら、オレが二人のために働いている時に?
義久の頭の中には既に、由紀子が他の男と密会している現場が描かれている。
――オレを受け入れないのは、そういうことだったのか?

――いつから。。。。。

結婚前の由紀子を思い出していた。
明るくはきはきとした優しい女性だった。
あの頃の由紀子は、確かに自分のモノだった。

自分の。。。いや、もしかしたら。。。

妊娠してからの由紀子は、いつもボーっとして、どこか心あらずな所が多くなった。

――何を、考えていた?いつも。。。。。

もしかしたら、子供だってオレの子じゃないのかも。。。ふと脳裏をよぎる疑惑。





いつも通りの朝だった。
夕べ遅く、酔って帰った義久は、きっと普段より遅く目が覚めるだろう。
今朝はいつもより少しだけ余分にゆっくりできるかもしれない。。。

きしむ身体を引きずるようにキッチンに向かう。

――夕べはちょっと、ひどかったかな。。。
腫上がった肩と背中は、おそらく今ごろ紫色だろう。
――酔ってた、せいかも。。。

冷蔵庫の扉を開けると、溜息がこぼれた。
「牛乳、買うの忘れちゃってたわ。。。」

時計を見上げる。
静かに出れば子供も気づかないだろう。
「コンビニでいいか。。。」
牛乳がない、なんてつまらないことで、朝から不機嫌な言葉を浴びせられたくない。
腕の痣が隠れるように、カーディガンを羽織って、ミュールを足先にひっかける。
白いミュール。

2月の冷たい風が頬をなでる。
けれど寒さを感じない。

腫れた頬を指でさすりながら、その部分が熱をおびているのを感じる。

「ふふ。。。それにしても、夕べのあの人」
切れた唇の端から笑みがこぼれる。
「男がいるんだろう、なんて。。。ふふ。。。」
羽織っていたカーディガンが肩から滑り落ちて、地面にぱさっと言う音をたてるが、
由紀子はかまわずに歩き続ける。
「私、そんなに余裕があるように見えるのかしら?浮気なんて。。。」
くすくすっと少女のように小さく声をたてて笑う、その笑顔が、
朝靄で優しくフォーカスされる。



広い通りを、コンビニに向かう。
見慣れた銀杏の木。

「あら?」

小さな路地。

「こんな所に道なんてあったかしら?」
首をかしげて覗きこむ。
「この街に引っ越して来て随分経ってるけど。。。気づかなかったわ。。。」
惹かれるように、その小さな細い道に入ってゆく。
でこぼこで、でたらめな、舗装。
ミュールのヒールがごりごりと音を立てる。

「あ、牛乳。。。」
自分が今外にいる理由を突然思い出すが、
「まぁ、いいわ。。。まだ時間はあるんだもの」
少女らしい未知への好奇心が「くすくすっ」と微笑ませる。

朝靄がだんだんと深い霧になり、周囲を包み始める。

「嫌だなぁ。。。今日、雨でも降るのかなぁ。。。」
嫌、と呟きながら、瞳の奥が輝いている。

その瞳が、小さな木の建物を捉えた。



木造の小さな小さな建物。
強いて言うなら『赤毛のアン』に出てくる雑貨屋。
建物に相応しくない、大きな一枚板の看板。



ゆき



見つけた。。。こんな所に、見つけた。。。
木枠にガラスの扉。
軽いドアノブ。

開けると、静かに流れる、重い、シャンソン。
そう、ここ。。。ううん。。。まだ。。。あの店じゃない。。。

ためらいがちにカントリー調の木のカウンターに向かう。
小さい丸い木の椅子の上に、小さい手作りの座布団。
そう、座布団。オシャレな表現のしようのない、代物。

腰掛けると、目の前で火が灯る。

サイフォンの丸いフラスコの下でアルコールの灯火が揺れる。
柔らかい、暖かな香り。
いびつな陶製のコーヒーカップに注がれる茶褐色の液体。

「そうよ、この香り。。。。。」

砂糖を入れない、背伸びの香り。

既に遠くなった、広い通りらしい場所から聞こえてくるサイレンの音。
「嫌ねぇ。。。」
ちらっと耳の隅に入るサイレンを、忘れるように戻るシャンソン。



「いけない、私。。。」



「私。。。」



「私。。。。。」





狭い団地の狭い一室で、義久は泣いていた。
静かに、ただ涙をこぼしていた。

「外に男がいるんだな?だからオレとは。。。。。!」

二重三重に響くサイレンの音。
けたたましく叩かれるドア。
泣き叫ぶ男の子。



その男の子は、可愛い青いクマのパジャマを、血に染めて、
壁にもたれかかり、薄目を開けて眠っている、母親にしがみついて泣き叫び続ける。

つい数時間前まで自分の足をさすりながら眠りにつかせてくれた、
二度と目覚めない、母親。







。。。。。見つけたわ、やっと見つけたわ、私、やっとここに来れたわ。。。。。














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2003.6.18