薄野猫




 猫は見ていた。黄金色に輝くススキ野原の表面を撫でながら通り過ぎる風を。
 楓は自分の腰まで生えているススキを一本手折り腕の中で揺れるススキをじっと見つめる猫の鼻先をくすぐった。
 ふんっとくしゃみをしてヒゲをふるわせ物言いたげに、自分を抱きかかえる青年の顔を見上げる。
「旅行ですか?」
 ふいに背後から声をかけられ、楓はびくっと振り返った。猫はその気配にとうに気付いていたのか、驚きもしない。
 いつからそこに立っていたのだろう。自分と同じくらいの年頃らしい青年に不信を抱き、返事ではなく逆に問いかける。
「あなたは?」
「僕はこの先の村のもんです。大阪で仕事してるんですが、秋の祭りで帰ってきてるんですよ」
 村のもん…あぁ地元の人間か。それを聞いて気が緩む。
「僕は静岡から一人旅ですよ。たぶん貴方の村でしょう、粕屋という民宿に世話になってます」
「あぁ、祥子ちゃんの家ですね。僕の幼馴染の家がやってる宿ですよ」
「そうですか…それにしてもきれいな村ですね。いや、行き当たりばったりな旅ですもんで…」
「行き当たりばったりですか、優雅ですねぇ。こちらの方は初めてで?」
「ええ…まぁ…」
 これは話が長引きそうだ。一人でのんびりしていたかったのに…そう思うと語尾が濁る。
 しかし旅先の地元の人間相手に無碍にもできないだろう。
「幼馴染さんとは仲良しで?あの宿に年頃のお嬢さんがいたようには見えなかったが」
「祥子ちゃん、今はあの家には居ませんからね」
「あぁ、もしかして貴方と一緒に大阪に?」
「そうですね…」
 なんだ、幼馴染の家と言いながらもしかしたら彼女の実家なんじゃないか?話をふったのは自分だけれどそれにしても妙な展開になったものだ。
「僕と一緒なら良かったんですけどね…」
 何だ?話の切れの悪い男だな。
 最初に話し掛けてきた爽やかな印象が一転する。
「貴方は、赤い金魚の少女をここで見たでしょう?」
「。。。。。え?。。。。。」
 こいつは頭でもおかしいのか?
「祥子ちゃん、死んじゃったんですよ。ここで」
 もしかしたらこの状況はちょっと危ないのかもしれない。適当に話を摩り替えてさっさと逃げた方が良さそうだ。
 原っぱの先の林道に置いた四駆の車にさっと目をやる。この男の脇を通り過ぎないと車まで辿りつけない。何とか適当に話を濁しながらさりげなく車に近づかなくては。
「もう十年以上も昔なんですけどね。僕より五つ年下だったから生きてれば今ごろ…」
 青年は楓の心中などかまわず話続ける。
「それは可哀想でしたね」
「可哀想なんてもんじゃないですよ。そりゃぁひどい殺され方で」
「殺されちゃったんですか?それで犯人は?」
「それがまだ捕まってないんですよ」
 ますますもって嫌な展開だ。だいたい初対面の人間にいきなりする話じゃないだろう。こいつ本当に村の人間なのか?どこかの病院でも抜け出してきたんじゃないか?怪しいもんだ。
「貴方、祥子ちゃんがどんな殺し方されたか、聞きたくはないですか?」
 聞きたくねぇよ!
「こう、胸をぱっくりと切り裂かれてね。祭りの日の夕暮れでしたよ。ちょっと目を離した隙に外から来た知らない人間に連れて行かれましてね。大人しくされるがままでいれば命だけは助かったかも知れませんが、抵抗しちゃったもんでねぇ」
「それは…本当に可哀想なことで…」
 気分が悪くなってきた。吐きそうだ。
「でもそのおかげで、汚されることなく死ねたんですよねぇ」
 このままじゃいけない。やっぱり危ない奴だ。とにかく車に戻ろう。襲って来ても力ずくで戻ろう。車に戻れば何とかなる。
 楓が一歩踏み出したその時、今まで腕の中で大人しく抱かれていた猫が「ふぎゃー!」と叫びながら飛び降りて逃げた。
「追いかけなくていいんですか?貴方の猫だったんじゃないんですか?」
「いや、さっきそこの林道で拾った人懐こい野良猫ですよ」
 話が“祥子ちゃん"からそれて少しほっとする。が、それも束の間で、猫の逃げた反対の方向で強い風が吹き大きくススキが揺れた。
 さぁーっと渡る風を見て、楓は息を呑んだ。
 いつの間にこんなに日が落ちたのか。辺り一面夕暮れが始まっていた。
 その夕暮れの中に一人の少女が立っている。
 白地に赤い金魚柄の浴衣、長い髪を左右に分け三つあみにして風に吹かれるがままに揺らしている。
 あれは……何だ?いつの間にあんな所に人が?
「僕は祥子ちゃんを殺した犯人を自分で捕まえるために刑事になって…そしてやっとここまで来たんですよ…」
 少女が現れたのを合図にしたかのように青年が楓に一歩、また一歩近づいて来る。
「ちょっと…ちょっと待て!俺はそんなの知らねぇぞ!」
「ひどいなぁ忘れちゃったんですか?あの日のあの祥子ちゃんの泣き顔、死に顔、胸の血…」
 楓はとうとう浴衣の少女と青年に挟まれる形になった。猫は楓の車のボンネットでこちらをじっと見つめている。
「俺は……俺は……」
 だんだん自信がなくなってきた。こいつの言う通り俺は10年以上昔ここでこの少女を殺したのかもしれない。
 とうとう追い詰められて少女の身体にぶつかりそうになってしまった。……いや、ぶつかったはずだった。
 楓はよろめいた拍子に少女によりかかったのだが、その身体は少女をすり抜け、宙に舞った。
 ススキ野原の奥の深い谷。下の方で落ちた小石の音が響く。
。。。あぁ、あの音は相当深そうだ。。。
 落ちたらやばいな、そう思う暇もなかった。



「なぁ、またあの谷で人が死んでおったぞ」
 楓の遺体が発見されたのはそれから随分経った雪の降る直前の頃だった。
「またか?これで何人目の仏さんじゃろ」
「まぁ今見つかって良かったわい。雪が降っちゃあ春まで見つからんからなぁナンマンダブナンマンダブ」
 村の駐在は慣れた口調で本庁から来た刑事に事故現場の説明をする。
「それにしても、粕屋の娘が死んでからどうもあそこはおかしいのぉ」
「澤田の倅といい、あそこは何ぞあるんかもしれん」
「粕屋の娘殺した犯人捕まえる言うて刑事になったその年にやっぱりあの谷で死んでもぉた……あれから十年は経ったのにのぉ」

「犯人は現場に戻る言うから、澤田の倅があすこでずっと犯人の戻るの待っとるのかもしれんのぉ」



 遠い山に落ちる陽が、金のススキを赤く染め、野原を舞う白い浴衣に夕日の色の金魚が跳ねた。

 林道で猫は身動ぎもせず、ただそれをじっと見ていた。






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2003.12.2