ずっと、変わらないって、信じてる



わたしたちは、ずっと、同じだって、信じてる





屋上の秘密






「真紀ちゃん、危ないよ」
一応、言ってみる。
しかし、真紀がそんな忠告を聞くような少女ではないことを、
百合花は幼稚園から延べ11年間の付き合いで、とてもよく解っている。
「毎度毎度、ご心配ありがとうねぇ」
へへっと笑って百合花の「危ないよ」を軽くいなす。

中学の屋上入り口の踊り場は、エスケープの格好の場所になっているが、
さぼり組の生徒達のさぼるタイミングが微妙にずれているらしく、
二人がここに来る時、他の生徒とはち会う事はめったになかった。
今日も最後の6時間目、英語を、休み時間の間に荷物を鞄にまとめて
帰宅準備をすっかりすませて“休憩”しに来る。

そう、休憩。

二人はサボタージュすることを、休憩と呼んでいた。

「5時間目は3年の先輩がここに居たみたいねぇ」
真紀が、屋上の扉の向こうから報告する。
「何?漫画でもあった?」
「うん。あと、このたばこ。これは角田先輩が吸ってるやつだよ」



屋上の鉄の扉は鍵がかかっていて、自由に出入りできないようになっている。
が、何人かの生徒は、ピンや針金で鍵を開けたり、
窓の外から屋上に繋がっている、幅50センチほどの張りをつたって、
屋上のフェンスを乗り越える。
真紀は後者だ。
窓から顔を出すと、真紀のすらりと華奢な太ももが、
ひらりとスカートの裾をひるがえしてフェンスを越えて消えていくのが見えた。
三階建てのその真下のコンクリの通路を見つめて百合花が
「よくやるよ。。。」と苦笑いする。

コの字方の校舎、二つある角部分、向かい合うようにある屋上入り口の踊り場。
片方は演劇部が、もう片方は美術部が、それぞれ物置に使っている。
二人がよく利用するのは、美術部側。
演劇部側は窓がコの字の中庭に向かってついているが、
こちらは外に向かってついている。
窓の真下はコンクリの通路。それを挟んで自転車置き場。
その向うは学校の塀をはさんで数件の民家、そして小高い岩山。
つまり、こちら側の窓を乗り越える分には、民家の住民に見咎められる可能性はあっても
校内にいる人間に見つかることはない、ということ。



「角田先輩。。。知らないなぁ。。。真紀、知ってる人?」
「ううん、私も知らないー」
「たばこに名前でも書いてあるとか?」
「うん、“3―2角田のマルボロ”だって」
鍵のかかった扉を挟んで、二人は一緒に吹き出した。
「ぷっ。。。あ、あはははは!だっさーい!何それ?」
「律儀に学年組まで書いてるよ!あはは!」
そこは、排水溝の金具に、上手い具合に紐で吊るされた携帯灰皿があったり、
コンクリの壁に穴を開けてたばこやお菓子の隠し場所になっていたりする。
と、百合花は真紀から聞かされていた。

鍵を開けるために小さな鍵穴を10分も20分も睨み付けたり、
危ない真似をしてまで、屋上に行く気はさらさらない。
小さな窓から涼しい風が入るこの狭い隠れ家で、本の一冊も読めれば十分満足。

百合花はその扉に背中をあずけて床にぺたんと座り、
鞄から昼間図書室で借りた本を取り出した。
おそらく真紀も今、同じように座っているのだろう。
声をすぐ背中で感じる。

「そういえばさ、真紀、1組の新井くんがこの間見たってさ」
「ん?何を?」
「真紀がそっちに移る所を」
「ここが見えたってことは、学校の外に出たってことだよねぇ。
あの眼鏡、さぼって抜け出しかぁ、やるなぁ」
「風邪ひいたんだって。うちらとは違うよ。」
自転車置き場を過ぎると、裏門にあたる。
たまに早引けする生徒がいると、お互いに見つけ会ったりするが、
さぼっているのはお互い様なので、それを口外することは、まず、ない。

「スカートの中、見えちゃってたってさ」
「何それ?ムッツリすけべな奴」
「ほんと、普通は“危ないよ”とか言うもんだよねぇ」
「そーだそーだ!心配もしてくれないで?パンツ見た金もらわなきゃ!」
「やめときなって。うっかりした事言うとセンセーにチクられるだけだよ」
「ヤだねぇ、ムッツリないい子ちゃんは」

ちょっと勉強ができて、先生の受けがいい程度の生徒を、
“いい子ちゃん”呼ばわりして毛嫌うほど、不良と言うわけでもない。
何となく、そういう言葉使いをしてみたい年頃。
そしてそれが格好いいとも本気で思っているわけでもないので、
完全にはみ出したりもできずに、中途半端。
ある意味、普通に現代っ子の姿なのかもしれない。

百合花は本のページをめくる。
一度真紀が屋上に出てしまうと、軽く1時間は戻ってこない。
軽めの短編集一冊程度なら読めてしまう。
その間、扉の向うで真紀が何をしているのか、知らない。
真紀も、置いてあるたばこや雑誌が代わっただの、減っただの、
その程度の報告だけで、自分がそこで何をしているのか、話すことはない。
戻ってきた時の真紀に、たばこの臭いがついていたりしないことから、
そんな所で隠れてしなければならない何かをしているようにも、思えない。

わざわざ危ない真似をしてまで。。。

最初の頃こそ、それが不思議でならなかったが、一年以上この“休憩が”
2〜3日おきに繰り返されてくると、もう何も思わなくなる。
付き合いが長いということは、だんだんとお互いが
空気のようになっていくことなのだろうか。
「でも。。。」
――小さい頃こそ、喧嘩したり泣いたり笑ったりするようなことあったけど
  私達ってもうずっとこんな感じよねぇ。。。
たわいもない話が少しと、「行こうか」「そっちでいいね」
そんな会話で何となく通じ合う。

百合花にはそれが気持ちいい。
クラスの他の女生徒達の関係を見ていると、とても複雑で、めんどくさそう。
――私には、真紀でよかった。
ふふっ、と、つい笑い声が出る。
「どうしたの?本、面白い?」
そんな小さな笑い声も、聞き漏らさないのか、真紀が声をかける。
「うん。後で真紀ちゃんも読む?」
変な事を考えていたような気がして、つい誤魔化してしまう。
「うーん。。。私はいいや。小さい文字、きらーい」
「今度話して聞かせてあげるよ」
「うん、そうして」
本当にあらすじを聞かせて話すわけじゃない。
お互いに、そういう返事だけで、何となく満足する。

まるで百合花が本を一冊、読み終わるのを待っていたかのように、
窓から真紀が顔を出した。
「よっこいしょ」
細い足を放り込み、外を背に腰掛けると、
「ほいっ」
飛び降りた。

「お帰り」
「ん、帰ろっか」

授業終了のベルはとっくに鳴っていた。
このままここにいると、美術部員が来るだろう。
その前にこの場所を離れなければ、さぼっていた自分たちを見つけた生徒が
“いい子ちゃん”ぶって何を言い出すか解らない。
先生に“チクられ”でもしたら、出入り禁止になるか、
授業中の巡回が厳しくなってしまう。

過去、そうやって“サボる”生徒達の憩いの場所が、
何度となく繰り返し摘発されてきた。
それは音楽準備室であったり、図書書庫であったり、プールの着替え室であったり。
鍵のかかっていなかった部屋に、次々と鍵がかけられていくようになる。

「まさか階段の踊り場に鍵なんてかけられないだろうけどね」
「先生たちもさ、壁でさえぎられてなくて開放的だから安心してるんだよココ」
「こんなちょこっとの死角でサボってるヤツがいるなんて思ってないんだろうねぇ」

タタタっと階段を駆け下りて、クラスメイトと顔を合わせないですむように
鞄の中に隠して持って来ていた靴を取り出し、
1階の階段のどんづまりの奥にある窓から飛び出した。
そのまま自転車置き場に出て、裏口に向かうことができる。

校舎を出て、ようやく、ゆっくりと歩き始める。

落ち着くと、真紀は少し前を歩く百合花の手を掴む。
手をつないで歩くのは、幼稚園の頃からの二人の癖のようなもので、
お互いにとっては違和感のない行為なのだが、これが時折からかわれる原因になる。
                          
「あんたたち、やってる事が子供っぽいよ」

という程度から

「もしかしてレズってるんじゃない?」

まで。

もっとも、二人ともそんな中傷は気にも留めない。
いや、性格には、気にも留めないのは真紀だけであって、
百合花には、その、他人の声が少し気になって仕方がない時期があった。

二人ともそんなにふくよかな体型ではない。
背格好のよく似た、すらりとした華奢な手足。
腰のくびれもないが、胸の谷間もない。
私服に着替えてジーンズでも履けば、少年とも見えるだろうシルエット。
唯一違うのは、真紀の髪は背中の真中あたりまで長く黒いストレートで、
百合花は肩に触れる程度の少し栗色のボブ。

そして二人とも、まだ初潮を迎えていない。



「もう14歳になったのにね」
真紀より1ヶ月早く誕生日を迎えた日、屋上入り口の踊り場で百合花が呟いた。
相変わらず鉄の扉を挟んで背中越しに返事が来る。
「いいんじゃない?あんなめんどくさそうなモノ、なくていいよ」
「でもさ。。。うちのクラスで、まだなのって、後何人くらいなんだろ」
「さぁ?」

――真紀ちゃんは、不安になったりしないのかな?

同じ年の女の子達が自分を置いてけぼりにするように、
どんどん先に進んでいくような感じに、百合花は軽い焦りを感じないでいられない。

「ヒトはヒトだよ」
その焦りを見抜くように背中で呟く声が聞こえた。
「そうだね」
さっぱりと言い放つ真紀の一言に小さく頷く。

しかし、その真紀に小さな変化が訪れていた事を、百合花は見逃していなかった。



繋がれる手のひらの感触が違う。

後ろから“ふっ”と近づく指先は、振り向かなくても、気配でわかる。
風が変わるような感じで。
触れる指先はいつもひんやりと、握った掌は柔らかなコットンを包み込んだように
さらさらと滑らかだった。

その手のひらが、3日前から、違う生き物のように、変わった。
ひんやりと気持ちのよかったソレが、
孵化したばかりのヒナのように暖かく、体温を感じる。
柔らかさは同じかもしれない。けれど奇妙な暖かさ。

――今、自分の少し後ろを歩いているのは、本当に、真紀ちゃん?

振り向けば確かに幼馴染の顔だろうけど、それを確認するのがわけも解らず怖くて、
だけどその動揺を知られてはいけないような気がして、
当り障りのない話で場を濁してしまう。



――私、何で百合ちゃんに言えないでいるんだろう。。。

それは午前の授業中、腹部に感じる違和感と、軽いけだるさから始まった。
――嫌だなぁ。。。体が重いや。。。
授業が終わって立ち上がると、ショーツの中でぬるっとする感触。
尿意とは違うぬめり。
――気持ち悪い。。。
真紀に声をかけることも忘れて、授業後の机の上もそのままに保健室に走る。

保険医に「おめでとう」と言われたのが意外だった。

「初めてなの?ちょっと遅いかな?でも、ちゃんと来てよかったね」
「はぁ。。。」
「おうちの人にちゃんと報告してね。これから色々と物入りになるしね」
「はぁ。。。」
何を言っても生返事な真紀に、保険医がくすっと笑う。
「まだ実感ないかな?
でもこれから毎月付き合って行くんだから、嫌でもそのうち実感わくよ」
「はぁ。。。」
「今日渡した替えのショーツとナプキンは、お祝いってことでね」
余分に渡した小さい四角の包みをハンカチに包んでポケットに入れるように指示すると、
「でも明日からは自分で用意するようにね。
 今日にでも家に帰ったらお母さんにでも聞いて買い物行くといいよ」
「あ、いえ、授業で習ったし、他の子の、トイレとかで見て知ってるから。。。」
「そうね、今時の子はお母さんにそういう話するの、恥ずかしいかな?
 解んなかったら友達にでも聞けばいいし、私に相談に来てくれてもいいから」
「。。。ありがとうございました。。。」
小さく会釈して保健室を出る。

――あぁ、こんな時の為に保険医って女がなるもんなんだな。

妙な部分で納得してしまった。

――それにしても。。。おめでとう?これが?
とてもそんなに喜べるシロモノじゃないけどなぁ。。。
初めて感じる腰の重さは、うっとおしい以外のナニモノでもない。



教室に戻ると、百合花が駆け寄ってくる。
「どこ行ってたの?トイレにもいないし、探しちゃったよ」
――どこに。。。。。
真紀は答に詰まってしまい、
「机、片付けてくれたんだ?ありがとう」
つい、はぐらかしてしまった。
「あ、うん。それより。。。」
百合花が追求しようとしたその時、チャイムが鳴った。
「また、後でね」
小さく笑って、けれど百合花の顔を直視しないまま、真紀は席についた。

その日の帰りに、何度か話を聞こうと百合花は試みたものの、
その度に軽くはぐらかされて、逆に困ったような顔をされてしまい、
追求するのを諦めた。



何となく、秘密を抱えてしまった居心地の悪さ。
それを誤魔化すように、普段からのさっぱりとしたモノ言いが、
ぶっきらぼうになってゆく気がする。

――ヒトは、ヒト。。。

――さっきのはちょっと、そっけなさすぎたかな。。。
夕暮れの中、目の前で繋いだ百合花の白い指を見つめながら、
自分で口にした言葉を噛みしめる。。。



――私たち、ずっとこのままでいられるのかな。。。

それは二人を同時に襲った不安だった。





周囲にも、二人のギクシャクさは伝わるのだろうか。
一人でトイレに入っていた真紀を見つけて、クラスメイトが声をかけてきた。
「ね、もしかして今余分持ってる?」
「余分?」
「アレ。急になっちゃって。。。でも予備一枚しか持ってないのよ〜」
「あ。。。アレね。。。」
真紀はポケットからハンカチの包みを取り出して、一枚のナプキンを渡した。
「助かった!一枚っきりじゃ絶対一日もたないもんねぇ」
「よかったら。。。もう一枚いる?」
「ううん、真紀さんが足りなくなったら困るでしょ?私は他の子にも声かけるから」
「ほんとに?大丈夫?」
「平気平気。クラスの女の子何人か聞けば2〜3枚は集まるもん」
真紀は返事を返す代わりにくすっと笑って終わらせようとした。
が、彼女はそれを許さなかった。

「真紀さん、もしかしてなったの、最近でしょ?」
どきっとした。
「え?何で?」
「解るよ〜だってここ最近で随分ふっくらしてきたもん」
「そんなに。。。?変わった?」
鼓動が早くなる。
「ちょっとね。元がスリムで華奢だったから、余計そう見えちゃうかな」
「そう。。。かな。。。」
急に自分が自分でなくなったような不安。
「百合花さんは、まだでしょ?」
胸が痛くなる。
「こういうのって、仲良くてもなかなか言いづらいよね」
真紀の内心に気づかずに話し続ける。
「ま、今度真紀さんが困る事あったら、言ってね。このお礼は必ずするから!」
さっき真紀が渡した白い包みをスカートのポケットにしまいながら、
笑顔で、一方的に話しを終わらせて、彼女はトイレのドアから出て行った。

真紀は、しばらく動けずにいた。
チャイムが鳴っても、教室に戻れなかった。

「私、百合ちゃんに話せない事なんて。。。」
ずっと二人は一緒だと思っていた。
体の中心から、一滴、一滴と流れてゆく赤い液体が、
百合花と自分を別の生き物に変えてしまったような気がして。

それは、いずれ確実に百合花にも訪れる現象なのだが、そこまで考えが回らない。
ただ、今現在の時点で、百合花と自分が違う、という事が問題だった。



「ねぇ、さっきの時間、どこに行ってたの?」
授業が終わって、ようやく教室に戻ってきた真紀を捕まえる。
「うん、ちょっと。。。気分悪くなっちゃって」
あやふやな言い訳をする。
「保健室行く?もう少し休んでた方が良くない?」
「ん。。。大丈夫」
真紀の笑顔にいつもより無理がある。白い肌が透き通って少し蒼い。
実際、慣れない体の変化に、体が追いついてないのだろう、
この4日間、ずっと貧血気味だった。
「あっちの方がいいな。。。」
「じゃ、鞄どうしよう?」
「まだ給食前だよ」
もう帰る気分でいる百合花に真紀が呆れて笑う。
「別に、コンビニでパンでも買えばいいよ」

二人が早々に鞄を抱えて教室を出ようとしていても、気づく生徒は居なかった。



「期末テスト前だもんね」
「みんな教科書とにらめっこだぁ」
「私達また平均ないなぁ」
「どうする?ちょっとは教科書開いてみる?」
「範囲解んないよ、授業聞いてないもん」

真紀は窓に腰掛けて笑う。
その横で百合花は、少し顔色の良くなった真紀を見て少しだけ安心する。
その安心が少しだけなのは、やっぱり、真紀に感じる違和感のせい。
「ねぇ、真紀?最近、ちょっと太った?」
「え?体重は変わってないけど。。。そうかなぁ」
「うーん。。。この辺とか」
スカートの上から腰をさする。
「それは!女らしくなったと言うのっ」
くすぐったそうに身をよじりながら笑う。

一瞬、その笑顔がまるで知らない他人に見えた。
理由は解らない。けれどこれはきっと、本能。
真紀は、今百合花から、遠い場所にいる存在。
自分の知らない世界を見ている存在。

ふと、真紀も笑顔が消える。
「何だかさぁ。。。つまんないね」
およそ真紀らしくないセリフに、百合花は戸惑った。
「真紀ちゃん、やっぱり、何かあった?」
「んー。。。ちょっと、つまんないなぁって」
真紀は窓から遠い空を見ながら、ゆっくりと足を外側に下ろした。
「何だか、ほんとうに、つまんない。。。。。」
そうして、ゆっくりとゆっくりと体を静かに外に倒してゆく。
窓から顔が消える直前、
「百合ちゃん、ごめんね」
微笑んでそのまま窓の外に姿を消した。




真っ白な世界。



「真紀。。。ちゃん。。。?」
百合花は、今目の前で、何が起こったのか、解らなかった。

窓から、真紀が、消えた。
いつものように屋上へつたい出る為に、窓から姿を消したのとは、違う。

落ちた。

「真紀ちゃん!」
窓にかけより、下のコンクリートを探す。
しかし、そこには想像した真紀の姿はなかった。

「へへ。。。」
狭い張りの上に、上手に、しかしぎりぎりで、真紀が横たわっている。
最初から本気で落ちる気なんてなかったに違いない。
それでも、一歩間違えば。。。。。
「もう。。。!」百合花が顔をくしゃくしゃにして涙をこぼす。
「ゴメンゴメン」
窓のサンに手をかけ、ゆっくりと起き上がる。落ちないように。
「そう簡単には死なないよ」
「でも。。。だって。。。」
百合花は手の甲で濡れた頬をぬぐいながら抗議する。
「怖かったんだから!真紀ちゃん、急に消えちゃって。。。」

消える。。。その言葉にはどんな意味があるのか。
自分で言って、自分でハッとする。

消える。。。今目の前にいる少女は、既に自分の知る少女ではない。

消える。。。では、ずっと自分と同じ時を重ねて来た、同じ冷やかな体温の彼女は、
どこに行ってしまったのか。



「それにしても。。。」
穏やかな日差しを背に、立ち上がり、方膝を窓に乗せ、中に戻る体勢を見せながら
「ほんとう、何だか最近、全然つまんないね」
誰に言うともなく呟いた。

百合花も
「うん、つまんないね。。。」
返事を返すというわけでもなく、呟きながら、
窓に中途半端に乗っかかっている、真紀の額を、つん、と押した。

ぐらっとバランスを崩し、宙に浮いた手で窓を掴もうとしたが、届かなかった。
そのまま「え?」という呆けた表情で、ゆっくりと後ろに落ちて行った。
今度は張り部分を大きく通り越して、ゆっくりと、ゆっくりと。

「真紀ちゃん、すいかみたい」

窓から下を覗きこみ、昔一緒に買いに行って、落として割ったすいかを思い出した。



真紀が危険な手段をとって、屋上に出入りしていた事は、
数人の生徒に目撃され、知られている。
校内では、同じように屋上に渡っている生徒達の中で、
いずれ誰かが“やる”んじゃないかと、噂も流れている。
そして百合花には、真紀を突き落とさなければならない動機など、ない。



――さぁ、先生を呼びに行かなきゃ


百合花は一人、階段を駆け下りて行った。



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2003.6.28