仔犬は海の夢を見る





これは、独白。まだ狂っている自覚のある、僕の、独白。





あれは僕が小学六年になりたての五月、
我が家の次郎さんが六匹の仔犬を産んだ。

そして僕はその翌朝、六匹の仔犬を、
ゴミ袋に詰め、重石のジャリ石を詰め、しっかりと口を結び
家に向かって道路を挟んだ目の前の海に
放り投げた。



次郎さんは、番犬を欲しがった母親が、遠い親類の更に友人という、
わけのわからない知り合いから貰い受けた、
柴犬のまじった雑種だ。

何でこんな、海沿いの道に沿って世帯数40戸程度が
ひっそりと肩寄せ合うような、
うっかりすれば父母のどちらかが同じという兄弟もできかねない
くそ貧しい田舎の漁村に、番犬を必要とするのか解らなかったけど
とにかく、次郎さんは我が家にやってきた。

タバコの箱二つ分と代わらない大きさだった次郎さんは
あっという間に大きくなって、 だけど、とても愛想の良い子だったので、ご近所の受けも良く、
「とてもじゃないけど番犬にはならないわね」
という判子を押して頂ける成犬に育ってくれた。



その次郎さんが妊娠したと解った時、誰も喜ばなかったので
薄々は感付いていたつもりだったけれど
いざ出産を終えて、母親に言われて僕は本当に戸惑ってしまった。


「こんな仔犬六匹も産まれてもねぇ。
貰い手もないし、うちじゃ育てきれんし、
野良になられても困るけんねぇ」

 

「あんた、海に捨ててやってよね。」


その時その部屋に僕の他に誰もいなかったので、
その“あんた”が僕のことなのは、いくら勉強のできない僕でも、解る。

  そして、仔犬を海に捨てたことで、僕を咎めることのできる大人なんてのが
この村には存在しないことも。



そしてその次の朝僕は仔犬を捨てたのだ。





それから一週間も過ぎた頃だったと思う。



学校の帰りの小さな湾の隅のよどみに、犬の死体が落ちていた。

一瞬、あの仔犬のどれかかとも思ったけれど、
あきらかに大きさが違う。成犬だ。

どうせ車にはねられたか、鼠殺しの毒餌を間違えて食べたかしたのだろう。

こんな事はよくあること。

この辺の人達は皆、道端に死んで転がる犬猫の死体を海に放り捨てる。

僕のじいさんは
「こうして皆海に帰るんじゃ」
てな事を言っていたけれど、
単に地面を掘って埋めるのが面倒くさいだけに違いない。



「おまえ、運がなかったな」
よどみに目を開いたまま眠る犬を見つめ僕はぽつりと囁いた。

学校からの帰り道、途中小さな峠を越えると、
海沿いの道に出る。
そこから子供の足で15分も歩けば僕の住む村だ。
そしてその峠を越えた時点から村まではもう一軒の家もない。

海に沿ってくねくねと緩いカーブの道がただ続くだけ。

そのカーブに合わせて小さな湾が幾つもある、
その中でも一番タチの悪いよどみ。

「ここだけは遊んじゃいかん」
村のじじばば達は皆言う。
沖から流れ着いたゴミや道から捨てられたゴミが
流れて行くことなくいつまでもいつまでもそこに留まる。
水も濁って、下に降りると悪臭がただよう。

そんな場所に、犬の死体可哀想と、
降りて何とかしてやろうなんて人間は、ここには居ない。

おそらくこの犬も他の汚物やゴミにまみれて
いつまでもいつまでもその死に顔を晒しつづけることになるのだろう。

僕は帰るのを忘れて、潮が犬の鼻先まで満ちてくる頃まで
じっと見ていた。

海水が犬の姿をすっかり隠してしまうほど満ちても、
決してその場所から犬を連れ去ってくれはしないだろう。



翌朝、学校に行く途中見ると、やっぱり犬はそこで死体を晒していた。

僕は去年の母の言葉を思い出してしまった。



「あんたたちの苗字をお母さんの方に戻すからね」

両親は僕が3歳の頃に離婚していた。
何故苗字を今まで母方に戻さなかったのかは、僕は知らない。
けれど何故それが去年だったのかは知っている。

「お兄ちゃんが今度中学に行くから、キリもいいしね。
 学校の途中で変わったんじゃいろいろ不便もあるだろうし
 友達にもいろいろ言われちゃ可哀想だからね」

。。。。。お母さん、僕は?僕も小学校の途中なんだよ?。。。。。

だけど僕はそれを口に出せなかった。



道路の上で死んでいた時は「可哀想に」と海に放り投げてもらえた犬。
よどみにはまってしまった後は気に留められることもなく捨て置かれる犬。

道路の上で死んでいた時はお兄ちゃんで
よどみにはまった後は僕。

「別に、可哀想だと思って欲しいわけでもないんだけどね」

犬の白い目が
「オレだって可哀想なんて思って欲しいわけじゃないさ」
と語り返してきたように思えた。





犬の死体は日々腐乱してゆく。

僕は毎日朝と夕、学校の行き帰りに数分間ガードレールにもたれて
それを見つめ続ける。
雨が降っても。

日曜も一度は死体を確認に行く。

けれど、それは、誰にも内緒。

お母さんのの耳にでも入ろうものなら最後。
「またこの子は変な事して。勉強もしぃせんくせに。
 そんな暇があるんやったらドリルでもせんかね」
やぶへびだ。



妙な子だの、気味が悪い子だの言われるのはとうに慣れたけど
勉強を押し付けられるのだけはごめんこうむる。



あれは何年前だったかな?
僕はまだ小学3年くらいだったと思う。

産婦人科の医者が、診察した女性に悪性の腫瘍だとか何だとか診断して
健康な子宮を取り出すという事件が発覚した。

詳しい事はよくわからなかったけれど、
大きなビーカーのような物に入れられて浸かっていたソレをニュースの映像で見て、
僕は無性に悲しくなって涙が出てきた。

そんな僕を見て、お母さんは言った。

「そんな縁もゆかりもないテレビの向こうの事なんかで泣きよるなんて
 感受性が強いにもホドがあるわ。
 あんた本当に妙な子やね。気味が悪いわ」

。。。。。気味が悪い。。。。。


それは小学校に上がった頃から頻繁に聞かされるようになった言葉。

最初はただひたすらに悲しかったけど、
泣けばうっとおしがられるだけなのが解ってくると
泣いたり悲しんだりするのも何だか面倒くさくなってきた。

そしてそのニュースの一件で、僕は静かに狂い続けている僕を自覚した。



「でもあの頃は“狂う”ってのがよく解んなくって、
 他の子達やお兄ちゃんとは違うんだ、くらいにしか思ってなかったんだ」

よどみでゆっくりと腐り、白骨をむき出し始める犬に
僕はいつからか話しかける。

犬は黙って聞いているのかいないのか。



小学校に上がってすぐの時、僕は1+1が解らなかった。
他の子供たちは幼稚園や保育園でそのくらいの足し算引き算や
文字の読み書きくらいやっているのが普通らしくて
始まってすぐの授業は
「これが数字の1」「あいうえお」
なんてものじゃなくて、いきなり1+1や国語の教科書を読み書きすることだった。

黒板に書かれた問題の意味すら解らない僕を、先生はいつまでもいつまでも
立たせ続けた。
「解るまで立っていなさい」と立たせ続けた。

だってしょうがないじゃないか。
僕の通っていた保育園は、いつも薄暗い畳の部屋で、
土間にあった薄暗いじめっとした砂場で、
絵本を読んでもらえるでもなく、歌や踊りを教えてもらうわけでもなく、
ただ子供達だけでぼうっと遊んでいただけなのだから。

たまに散歩と称して裏のお寺の境内に連れて行ってもらう以外は。



句読点や足し算も理解できずに立ち尽くす僕に担任の先生が
お母さんを学校に呼び出して言った。

「この子は知恵遅れですね。特殊学級に行くことをお薦めします」

そんな話し合いがなされている事を知らないで僕は、夕暮れの校庭の隅で
お母さんを待ちながら折り紙を折っていた。

母は怒りながら先生との会話を僕に全て曝け出し、
「あんたは知恵遅れなんかじゃないからね。
 お母さんの子供なんだからできないはずないんだからね」

そう言って翌週には、フェリーに乗って海を渡って、
大きな街の大学の先生にツテがあるからと
わざわざ仕事を休み、親戚のアパートに連泊して知能テストを受けさせた。

結果は知恵遅れではないことが判明し、
「あんな人の子供侮辱するような教師なんて信用できない」
と、教育委員会だか何だかに訴えて、僕を別の小学校に越境入学させた。

これは今だにお母さんの自慢の一件らしく、
「お母さんが一生懸命走り回ってあの嫌な先生から
あんたのプライドを守ってあげたんだから、
もっとしっかり勉強してくれてもいいようなもんなのにねぇ」
通知表やテストを見せる度に言われてしまう。

次に決まって言われるのが
「あんたはお母さんの子なんだからやればできるはずなんだから。
 こんな成績取っとったらいかんでしょう。
 お兄ちゃんはほんとに良くできるのにねぇ」

何でお母さんの子供なら勉強のできる子になれるのかよく解らないけど、
子供の頃とてもよく勉強ができて、美人で、人気者だったので、
卒業しても都会のいい所に就職できて、いい所に嫁に行けた、
という自慢話を繰り返し繰り返し聞かされて僕は育った。



「そのお勉強のよくできる美人で人気者のお母さんが
 何で離婚なんかしてこんな田舎に引っ込まなきゃいけなかったのかは
実は口に出しちゃいけない疑問なんだけどね」

そもそも、こんな貧しい田舎の漁村に
そんなスーパーアイドルが育つわけないじゃないか。

村の一番隅っこに建つトタン屋根のあばら家に一人で住むじいさんが
「わしは戦後に闇で一旗あげてな、そりゃ儲けたもんだが、
信頼して一緒に商売やっとったヤツがなぁとんでもない裏切りおってなぁ
本当ならこんなとこでこんな暮らししとるような人間やないんやど」

たぶんこれと変わらない程度の話。





「そういえば、あの仔犬達、結局一匹も上がってこなかったなぁ」
僕はふと思い出して呟いた。

普通死体は一度浮いてまた沈むものなのだが。。。
海底の割れた瓶だの貝だのにゴミ袋を破かれることのないまま、
波が沖に引きずって行ったのだろうか。





そうこうしているうちに、雨の季節がやって来て通り過ぎた。

犬は殆ど肉片を残さず、きれいな白骨になり始め、
僕は下着同然の袖なしシャツで学校に通い始めていた。



僕が自分を“狂う”という単語を使って意識し始めたのは、
結局何がきっかけだったのか、今でも解らない。

お母さんが見ていたテレビドラマか何かの受け売りだろう。

しかし、その言葉は、実際意識して想ってみると、
とても僕の状態にしっくりして合っているように思えた。

犬が白骨化してゆく様を毎日欠かさず観察し続けて、
それは確信にもなってきた。



僕は、毎日、少しずつ、静かに狂っている。

半分砂利に埋まってしまった、眼球のあった部分のくぼみが
静かに頷いて共感してくれているように見えた。



もうすぐ、長い暑い休みが来る。

犬の肉の部分や、沖に流されて行っただろう仔犬の肉や、
今までに放り投げられた他の犬猫達の肉を、
波がかき混ぜ大きな一つの海の水にしてしまう。

その海で僕達はまた、遊ぶのだ。

僕達の母親も、その両親も、この村でずっと生きてきた人達は皆、
たくさんの死体の溶けているこの海で遊んで、
この海の魚を食べて生きているのだ。

「この村がこんなに貧しいのは、そのせいなのかも知れないね。」

僕は何の確証もなく、そう思ってしまった。



そしてその夜、三件隣の山に近い家に住むばあさんが、
物置で農薬を飲んで自殺した。

孫娘がどこだかの知らない男の子供を妊娠して、
いつのまにか勝手に中絶していたことが、噂で広まったせいらしい。

不祥事をしでかしたはしたない孫娘のせいでこの家ももう終わりだ、と
嘆いていたので、それが理由に違いない。
村の誰もがそう決め付けて、その孫娘をなじっていた。
「可哀想なばあさん、この年になってこんな死に方をせにゃならんとはなぁ」



あぁ、そうか。。。

僕は何だか少し納得してしまった。



産まれずに死んだ赤ん坊よりも、
テレビの向こうのニュースの切り取られた子宮たちよりも、
生まれた翌朝にゴミ袋に詰められて海に放り投げられた仔犬たちよりも、
本当に可哀想なのは、
「あぁ、はしたない孫娘。。。」
そう言い残して死んだばあさんなのだ。

船を造るのに借金をして、その借金を返そうともせず、
組合に手を焼かせながら生きてゆくことはできても、
孫娘が中絶した噂が広まっては、生きていくことはできないんだ。



こんなことを考えながらぼんやりとしていると、

「何ねあんたは、人が死んだいうのに、ヘラヘラしてからに」

だって、しょうがないよ、お母さん。
僕は狂ってしまってる子供なんだから。

その証拠にほら、皆がこんなに悲しんでいるばあさんのことが
ちっとも可哀想に思えない。





たいしたご馳走が出るわけでもない、酒目当ての大人ばかりの、
通夜の席を抜け出して、僕は外灯もない暗い海沿いを
月明かりだけを頼りに、犬の死体のよどみに向かった。



「おまえさ、よかったね。もうすぐ台風の季節が来るよ」

暗くて見えないが、犬は黙って僕の呟きを聞いている。

「台風が来るとね、このよどみもきれいに流されて行くんだ。
 年に数回、この時期だけの大掃除だよ」

「この海をずっと沖に行くとイルカの泳いでる
 何とかって灘に出るんだってさ。
 おまえ、やっとここから出られるんだよ」

「僕は。。。僕は、どうしよう。。。」



神様。。。神様も仏様も信じてなんていないけど。。。



神様、いつか、僕を死なせて。
あの仔犬達のように生きたまま海に沈めて、
苦しみながらでいいから、僕を、死なせて。


僕は。。。嫌なんです。



このまま、静かに狂い続けて生きるのは別にいいけど、
そのうち狂ってるっていう自覚が無くなって、
狂ってることが解らなくなって生きていくのは、



とても、

とても、
嫌なんです。。。。。



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2003.6.18