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お酒を飲もう!

37
秋の味覚の焼酎を

やぁいらっしゃいお客さん。おや、もうコート着てみえるんですね。確かに急に朝夕寒くなってきましたもんね。
って、さっき買ったばっかり?会社出たら寒かったから帰り道のウィンドウで秋コート見つけてそのまま買っちゃったって、リッチだねぇ。まぁそんな衝動買いもキャリア積んだ独身OLさんの特権ってやつですね。いやいやお局だなんてそんなつもりじゃないですよ。褒めてるんですよ。
頑張って毎日男性にも負けない、それ以上に朝早くから夜遅くこんな時間までバリバリに頑張ってるんだから服の衝動買いくらい自分へのご褒美ってなもんでしょう。
え?服だけじゃないの?あぁワインとチーズでしょ。仕事が一段落した時とか上手く行った時なんかにちょっといいワインとチーズと好きなDVDで乾杯するんだって言ってましたもんね。
そういやそろそろワインも新酒の季節ですね。来月末には国産輸入物問わず店にずらっと並ぶでしょうから、今から楽しみですよねぇ。
さて、今夜は何を差し上げましょう。新酒の前に去年出来たワインか、ちょっと年季の入ったワインを楽しみましょうか?
はい?ワインは先週末に堪能したから今夜は違うものですか……秋らしいお酒をご希望で……と……うーん、日本酒の季節でもあるし軽く燗でも……いや、秋らしくてユニークなのありましたよ、こんなもんでどうでしょう。

「古丹波 栗焼酎」

ラベルが印象的で可愛くて面白いでしょう。
兵庫県の奥丹波で採れる上品な甘さと高級和菓子にも使われることで有名な「銀寄」という栗を使った焼酎です。
ま、最初は軽くロックでいきますか。はい?外寒くてちょっと体が冷えてるから氷いらない?じゃストレートで……一応チェイサーお付けしますね。
甘栗のようなしっとりとした味と香りが特徴的でしょう。でもって上品で後口はさっぱりなの。
そうそう、焼酎といえば芋とか蕎麦とか思い浮かべますけどね栗もなかなか横綱級のやつがいるもんなんですよ。
それから、酒の肴にはちょっとアレかもしれませんけどこいつもご一緒にどうです?どうせ今夜も晩御飯まだなんでしょう。
「栗おこわ」
えぇ夕方炊いたやつを小さなまん丸おにぎりにしちゃいました。隅っこに紅しょうが添えましょうね。これ家庭菜園に凝ってる友人が自分で育てた赤紫蘇と自家製の梅酢で作ったやつなので自然肥料に無農薬、友人ご自慢の一品なんですよ。
それと、秋といえば秋刀魚。いえね、ちょっとテレビの料理番組で観ましてね。面白そうだから作ってみたんです。
「秋刀魚の南蛮漬け」美味しそうでしょう。いや実際美味しかったですよ。どうぞお試しあれ。
まろやかな焼酎でちょっとあったまってきました?そりゃ良かった。うちの店駅までちょっと歩きますもんね。栗焼酎と栗ご飯でしっかりあったまって帰ってください。
あぁこの栗ですか?焼酎が丹波の栗だからご飯の栗も丹波じゃないか……?
やだなぁそんな高い栗おいそれと買えませんよ。これは先週末のお休みに遊びに行った観光農園の栗拾いで拾った栗。えぇアタシが拾ったんですよ。でもこれって収穫したやつは入園料と別に買い取らなきゃいけないんですよね……結局スーパーで買うより高くついちゃいましたよ。まぁ楽しかったし秋を満喫できたからヨシなんですけど。
あ、そういうの興味あります?そうですね、じゃ今度リンゴ狩りでもご一緒にどうです?温泉なんかも近所に揃ってる農園がありますよ。
え、やだなぁ勿論二人っきりなんかじゃないですよ。他のお客さんも誘ったりして大勢でワイワイ、ですよ。二人っきりなんて……アタシがそんな邪なこと考えるわけないじゃないですか……


<2005.10.15>
38
11月のブーケ

十一月の冷たい雨の中彼女は濡れた肩を震わせながらいつもの店のドアを開いた。
『あれ、大丈夫ですか』いきなりマスターが聞いたのは彼女の淡いピンクのドレスが泥まみれになっていたから。
『うん、さっき地下鉄の階段で滑って転んじゃって』
マスターが『はい』と差し出したタオルを受け取り汚れをふき取るがきれいに落ちない。
『椅子が汚れちゃうかしら』妙な心配をする。
『気にしないでいいですよ、合成皮のカバーだから汚れてもすぐに落ちるし』
そして彼女の手にしている花束を目ざとくみつけた。
『今日は結婚式か何かで?』
『うん、友人のね』
『ブーケ争奪戦に勝ったんですね、じゃぁお客さんもそろそろかな』
陽気に笑うマスターがいつもなら好きだった。けれど今日の彼女にはその陽気な笑顔に応える元気がない。
『そうだといいけど』眉に皺を寄せながら椅子に座りメニューに手を伸ばし何を選ぶともなく眺め始めた。
『結婚式の帰りにしては元気がないですね』
『そういうわけでもないんだけど』
『とりあえず寒かったでしょう』
暖かいおしぼりを差し出される。
『顔拭いてもいいかなぁ』
『化粧落ちるんじゃないです?』
『ううん、いいの、化粧なんて……』
ホカホカのおしぼりを広げて顔全体に当て彼女はしばらくそのまま動かなかった。濡れた肩が時折小さく揺れた。
『ねぇマスター、何か景気のいいお酒ちょうだい。秋で情緒あるのもいいけどちょっとしめっぽくなっちゃって』
『ま、そういう時もありますよね、ではこういうのなんてどうでしょう』

「フレンチ75」

ジンとレモンジュースとシュガーシロップをシェイクして氷の入った細長いグラスに入れシャンパンを注ぐ。
『きれいねぇ』
『きれいでしょう』
彼女は小さなシャンペンの気泡がぷつぷつと氷の隙間を縫ってシュワッと音を立てながら登ってくる様子をしばらく眺めていた。
第一次大戦の時にパリで生まれたこのカクテルの名前は当時の大砲の口径が75ミリであったことに由来しているんですよ、とマスターが説明する。物騒な名前のカクテルね、と彼女が言えば祝砲にもつかわれたんじゃないですかね、と返事がくる。
『祝砲……ね。今日はとても祝う気分じゃないのだけれど……』
『まぁちょっと待って待って、結婚式で何があったか知らないけど、アタシがこのカクテルを出したのはそんな意味じゃなくて、ほらそのブーケですよ』
『ブーケ?』
傍らに置かれた白い花束。
『白くて小さな花と小さな薔薇のブーケ、なかなかお洒落できれいで。何となくそれを見てこのカクテルを連想しちゃったんですよ』
彼女がようやく『そうなの』とクスリと笑った。
『それ、何て言う花なんでしょうねぇ小さな白い花がいっぱい固まって……ジャスミンじゃないみたいだし……』
『これ、ブバリアって言うのよ』
『へー可愛い花ですねぇ』
『ふふ、私が作ったの。今日結婚する新郎に頼まれて』
『そうなんだ』
『いじわるなブーケ、作っちゃった……』
また彼女の笑顔が暗くなる。
ずっとずっと大好きだった職場の同僚。秘めた恋。その彼が結婚した。彼は彼女がフラワーアレンジを趣味でやっていたのを知っていてブーケを作ってくれと頼んだ。
『まぁ式場の花屋に頼むより安くつくから気持ちは解るんだけどね』
目の前のグラスは口もつけられないまま氷が半分解けかかっている。
『ブバリアの花言葉はね、羨望って意味。彼の結婚相手に思いっきり嫉妬しちゃったのね。貴女が羨ましいわってブーケに込めちゃった』
まぁそんな事おっしゃらずに、とマスターがグラスを差し出しまず一口飲んでごらんなさいよと笑ってみせた。
促されるままに一口飲む。
『きゃ』
思い切り冷えたシャンパンが口の中でパチパチと弾けた。
『レモンの酸味も加わって、シャンパンのシュワッていう感触が大砲みたいでしょう』
『うん、面白い』
『花言葉は確かに「羨望」かもしれないけれど、彼の結婚を羨む気持ちをバネにもっともっとステキな貴女になってください……てお花もカクテルも言ってるんじゃないんでしょうか?』
『そうかしら』
『そうですよ』
白い小さな花に似た気泡が口の中で甘酸っぱく広がる。彼女はグラスをえい、と飲み干した。
『そうね、つまらない羨望なんて飲み干して、明日に祝杯だわ』
彼女がもう一杯ちょうだい、と言い、マスターがにこにこ笑いながらシェーカーを振る。隣でブバリアのブーケが優しく揺れた。


<2005.11.2>
39
海に咲く花

やぁお客さんいらっしゃい。また一段と冷えてきましたね。どうぞ温かいおしぼりでも。
あれ?今日はお連れさんがおありで?珍しいことで……って、猫ですか!そうですねぇ一応食べ物とか扱ってるんで……はい?大人しくしてるから?でも猫でしょうそう聞き分けよく大人しくなんか……もう充分年だから跳ね回ったりしない?席もカウンターの端っこでいいからって……まぁそこまでおっしゃるなら他のお客さん入るまでの間でよろしければ。えぇ今日は貴方が最初のお客さんですよ。ま、そんなにひどく混むほど人の入る店でもないですけどね。
はぁ確かに大人しいですね。カウンターチェアじゃちょっと小さくて頼りないですね。観葉植物用のミニベンチ持って来るのでバスタオルでも敷いてあげましょうかね。
それにしてもお客さんが猫飼ってたなんて知りませんでしたよ。出張とか多いから大変でしょう。え?買ったんじゃなくて預かってるだけ?さては友達が旅行か何か行くのに猫連れて行けないからって人の良さにつけこまれて押し付けられたんでしょう。え?そうじゃないの?
あぁ覚えてますよ、以前お連れになった方ですよね。大学時代からのご友人で確かスキューバが趣味とか……えぇ、交通事故で入院されちゃったの、それは大変ですね。じゃぁその間お客さんが預かってるってわけなんですね。それは猫ちゃんも淋しいですねぇ。
それにしてもきれいな猫ですね。青いっていうか灰色っていうかさらさらの毛並みで。目も深い緑色かぁこれって珍しい猫なんじゃないです?ロシアンブルー?そういう名前の猫なんですか。なるほど、海の好きなお友達がペットショップでこの仔を見て一目惚れしちゃったってわけね。確かに静かな海を思い浮かべる外見だ。
さて、お客さんは今夜は何をお召し上がりで?いつものスコッチで?
うーん、そうだ、この猫ちゃん見ててちょっと思いついたのだけどこういうのはどうでしょう。

「ボンベイ・サファイア」

見事に透明なサファイア色のボトルでしょう。えぇお友達の好きな海と猫ちゃんの色に合わせてみました。
って、中身は普通に無色透明のジンなんですがね、ちょっと特徴があるんですよ。ジンは普通四種類から五種類のボタニカルを浸して作られるんですがこのボンベイ・サファイアは十種類ものボタニカルを使用しているんです。その蒸留方法もちょっと違うんですがまぁ難しい話は置いといて、冷凍庫でキンキンに冷やしたこいつをさらに冷凍庫で霜がつくほど冷やしたグラスに注いで、まずは香りから楽しんでみてください。深くまろやかな香りだと思いませんか。味も上品な辛口でそのままカクテルグラスに注いでもカクテルとして通ってしまう威厳があるジンです。
ね、なかなかのモンでしょう。
さて、お次はこいつを……「サーファーズファイネストキウイ」ちょっと珍しいでしょうキウイのリキュールですよ。グラスにマドラーをさしてそれに這わせるようにこいつを注いですっとまっすぐ引き抜くと…ほおらジンの中に緑色の花が咲いた。
このキウイリキュールはアイスクリームなんかのトッピングに合うくらい甘いから辛いジンにちょっと混ぜるとジンの違う表情を見せてくれるんです。さらにリキュールはジンより重いからこの注ぎ方をすると静かに花が開くように下に沈んで行くんです。
ほら、海色のボトルのジンの中に猫ちゃんの瞳。
この酒の肴は……やっぱりチョコレートですかね。板チョコをナイフで細めにざくざく削ってクラッカーに載せてはいどうぞ。
スコッチもいいけどたまにはこんなお遊びみたいな呑り方も悪くないでしょう。
はい?友達が見たら喜びそうな酒だ?あぁボトルなんかまさに好きそうな感じですよね。
では退院のあかつきにはぜひ当店へどうぞ。男ばかりでむさくるしさは否めませんがジンの海の中に緑の花咲かせて華やかにお祝いしてさしあげますよ。


酒提供くるみ様 多謝!
<2005.11.15>
40
もう一度あなたとくちづけたい

『寒くなったねぇ』と言えば『寒くなりましたねぇ』と返事が返ってくる。そこがこの店を彼女が気に入っているところ。
『今夜あたり今年一番の寒波だって?この辺でも雪がちらつく所があるかもってね』
 マスターはとっくに知っているだろう天気の話も決して自分から物知り気に言い出したりしない。語りたい客には語らせ心地よく酔わせてくれる。語りたくない客には会話を楽しむよりしんみりと穏やかになれる酒を作ってくれる。
 必要以上に客の会話に立ち入らない。言葉少なで雰囲気を暖めてくれる。
『お久しぶりですねぇ。まぁどうぞお好きに掛けてくださいよ』
 ほぼ二年ぶりで店に姿を表した彼女をマスターは馴染みの客と変わらない穏やかな態度で迎える。『お久しぶり』という以上に彼が触れられたくない部分はもちろん口にしたりしない。
 二年前のあの夜も今夜と同じ、雨が雪になりはじめ空気の冷たい晩だった。上司と、その直属の部下数人で呑みに行くことはそう珍しいことではない。彼らはビールかウィスキーを。紅一点の彼女は気分次第でカクテルを。酒の席では仕事を忘れ新しい恋人や別れた恋人の話に彼らが盛り上がる中、いつも穏やかに微笑みながらグラスを傾けていた彼女。
 その彼らの輪の中から彼女が共に訪れる回数が次第に減りとうとう姿を見せなくなった最後のあの夜、上司の背中を眺めながら小さく溜息をついた横顔をマスターは今でも覚えていたが、だからといってそんな話を口にしたりはしない。
『今夜はお一人で?』『えぇ久しぶりにこの店の近くを通ったら懐かしくなってしまって』『それはありがとうございます。さて今夜は何をお呑みになります?何かカクテルでもおつくりしましょうかね』『そうね何か暖かくなれそうなカクテルを……』
 ではこんなもんでいかがでしょう、マスターがタンブラーを白い飲み物で満たした。

「ヨーグリートミルク」

 氷を入れたタンブラーにヨーグルトリキュールと牛乳を入れマドラーで混ぜ合わせる。一見銀世界を連想する白さだが口をつけると甘く柔かいふんわりとした暖かさで満たされる思いだ。
『優しい味ね』彼女が微笑めば『えぇこの季節の花クリスマスローズを連想してみました』
 クリスマスローズの一番早い種類が十二月の末から咲く真っ白なやつなんですよ、と続けて説明されその言葉に彼女の微笑みが一瞬こわばる。何か気に障っただろうかとマスターも緊張する。しばらくの沈黙。
 ようやくグラスに二口目を口付けこくんと呑み彼女が首をちょこんと横に倒して薄く微笑んだ。
『クリスマスローズの花言葉って追憶っていうのよね』
 マスターは顔だけ笑顔を消さないで心の中でしまった、と焦った。最後の夜に来た彼女の切ない溜息を思いだす。きっと彼と何かあったのに違いない。追憶という名前の花をイメージしたカクテルで思い出させてしまったのか。
『そうですか、花言葉までは知りませんでした……いや特に意味は無かったんですがね……あぁ口直しにパーッと華やかなカクテルでも作り直しましょうか』
 マスターの提案に首を横に振り彼女が笑った。
『いやだマスター、もしかしてあの人との事を心配してるのかしら。でも違うのよ。』
 確かに彼を愛していたけれどその思いは届かないもの、届いてはいけないものと最初から諦めていた恋だった。今思いをはせているのは別の少年のこと。はるか年下の少年に思いを寄せ始めてしまったのだと。彼女はさらりと短く説明する。そして
『今、彼は事情あってとても冷たい体をしているの。いつか、いつかまた暖かい肉体を取り戻す日を求めて頑張って生きてる……』
 瞳の端に涙が光る。けれど彼女はそれを零さず指先ですっと拭い
『私も、あの子と一緒に戦うわ。またあの暖かい唇に触れる日を信じて』
『はぁ……』マスターは彼女の説明に今ひとつ要領を得なかったが、『そうですか、では私も心から応援しますよ』としめくくる。
 追憶という言葉を秘めたカクテルで彼女が思い出したのはかの少年とたった一度交わした口付け。それはそのカクテルと同じに柔かく甘く優しい……
『いつか、いつか必ず……』彼女は切ない笑顔で呟きながら白いカクテルを飲み干した。
 グラスの中で白く濁った氷がカランと音を立て冷たい季節はやがて花咲く暖かい季節を導く予感を告げた。


<2005.12.6>
41
お陽様色の愛を

「大好きよ」と彼女が言った。
「大好きだよ」と彼が答えた。
 二人は丸みを帯びてふくよかな透明のグラスをキスするようにそっと触れ合わせかちりと鳴らし、淡く黄色いカクテルを舐めるように口に含んだ。

『いかんな……この時期になると必ずあのお二人を思い出す……』
 正月の三が日も通り過ぎ店の常連も仕事が始まり、普段と変わらない日々が戻ってきた。そんな日の朝。マスターは目尻に残る涙の跡を拭いながら布団から起きてきた。
『あのお目出度かった日も、そしてあの苦しみの始まりの日も、この季節だったな』

 二人は、賑やかな繁華街を通り過ぎた路地にある古びた、けれど洒落た感じのバーの常連だった。とても仲の良い恋人同士はやがて祝福の日を向え、その店で二次会をした。店のオーナーが修行中のバーテンに『何かお祝いの一杯を作ってみろ』と目配せし、バーテンは幸せの花をイメージした一杯を二人の前に差し出した。
 受け取って飲み干した二人の未来はその花の持つ言葉通りに永遠に幸せになるはずだった。
 悲しい知らせはその二年後にやってきた。結婚した後も結婚前と変わらず肩を並べ呑みに来ていた二人だったがその晩姿を見せたのは彼一人だった。そしてバーテンの『お一人とは珍しいですね』という言葉に首を振り語り始めた。
『妻が、四日前交通事故にあって入院しました』
 意識不明の最悪な状態は過ぎその日の夕暮れ目を覚ましたが、半身不随でもう二度と自分の足で歩くことはできないという。
『妻が歩くこともできないのに僕一人が遊んだり酒を呑むなんて事はできません。彼女が事故のショックから立ち直りまた笑顔に戻る日まで酒を断って寄り添っていこうと思います』
 短く挨拶をし店を出て行った彼の背中を見送ったオーナーとバーテンは店に来なくなった彼らに代わって暇を見ては夫婦を見舞った。一杯の代わりに季節季節の花を携え。

 あれから数年。オーナーは店を閉め引退し、バーテンは自分の店を持ちマスターになった。
『いつまでも感傷に浸っていてもしょうがないだろう』
 登りきった陽の中買出しをして店に入り準備をして夕暮れを待って看板に火を灯す。
 と、その灯を待っていたかのように一人の男性がドアを開けて入ってきた。
『やぁ、バーテンさん…いや、今はマスターですね、こんばんは。僕を覚えているでしょうか?』
 つい今朝見た夢の面影をそのまま残し少しだけ老けた彼だった。
 積もる話は幾らでもある。けれど胸が詰まってマスターは『えぇ勿論』とだけしか言えず黙ってカウンターの椅子を差し出す。
 この店を開く時に前の店の常連に片っ端から出した案内の葉書を鞄から差し出し『お気遣いありがとうございました。せっかくの開店だったのにご挨拶もできずに……』
 改まった挨拶を聞きながら涙が溢れそうになったマスターが『何かお呑みに?』と聞くと彼は『あの披露宴の日に作ってくれたカクテルを覚えていますか?あれをください』と答える。
『覚えていますとも』ドライジンとオレンジジュース、オレンジリキュラソー、レモンジュース、卵白を容器に放り込み『もしかしたら事故の後すっかり塞いでいた彼女の心が元気になり笑顔が戻ったのだろうか』期待に胸震わせてシェーカーを振り始めたマスターに彼が告げた。
『妻がとうとう他界しました。明日が四十九日なんですよ』マスターの手が止まった。
『四十九日まで魂は家に留まるというから本当は呑みになんて来てちゃいけないんですけどね……』苦笑いをしながら語る彼をじっと見つめる。
『だけど、四十九日が過ぎると魂は仏様になって昇っていくんだそうです。それを思うと、妻が手の届かない仏様になる前に魂として僕の側に居てくれるうちに、あの幸せの絶頂のカクテルをもう一度、どうしても呑みたくなったんですよ』
『そうですか……』すっかり氷が溶けて水っぽくなってしまったシェーカーの中身を一度流して新たに材料を入れ作り始める。
『本当は彼女と一緒に呑みたかった……』
 カウンターに視線を落とし項垂れ言葉途切れた彼に『どうぞ』とマスターがカクテルを差し出す。『あぁ、ありがとう』顔を上げた彼の前には銀色に輝く小さなスキットルボトルが現れた。
『これは……?』
『あの日のカクテルですよ』
 ボトルのキャップをきゅっと開けるとお陽様色の液体がちゃぽんと音を立てた。
『奥様はまだ魂のまま、お家にいらっしゃるのでしょう?でしたらぜひ、お持ちになってお二人で楽しんでください』
『マスター……』
 泪を零しながら『ありがとうございます』と何度も頭を下げ彼は夕暮れの路地に消えて行った。その背中を見送りながらマスターは『また来年もあの夢を見るのだろうか……』胸を熱くさせ目尻を濡らした。

 カクテル「福寿草」

 花言葉は「思い出」「悲しい思い出」「永久の幸せ」そして「最上の愛情」


<2006.1.6>
42
ネコヤナギの下でキミと

「変わった木だな」
 彼女がくすんだ灰色の綿毛のようなものをいっぱいくっつけた枝を両手に抱えて約束の場所に現れた時、彼は挨拶よりも先に口走った。
「ねこやなぎと言うのよ。私この木が大好きなの」くすくすと笑いながら答える彼女の笑顔は二月の寒空の下でとても暖かだった。

 彼が18歳、彼女が19歳の冬だった。

「大学入試の発表待ちで悶々としてる連中がたくさんいるのに、オレだけこんなにのんびりしてて悪い感じだ」
「頑張ったもの。きっと大丈夫よ。だから今日はのんびり前祝しましょう」

 そもそも、二人の出会いの場所が一年半前の総合病院の会計待ち合いだった。
「あれ?先輩今日は病院ですか?」
「ええ、貧血の薬をもらいに来たの」
 テニス部の後輩の怪我に付き添った彼と学校を早退して通院していた彼女。部活で怪我の絶えない彼と病弱だった彼女はお互いに保健室の常連で顔だけは知っていたけれど声を掛け合うのは初めてだった。
 けれどそれをきっかけに二人は急速に親しくなっていった。
 彼女は高校を卒業した後、娘の体をいたわり心配する両親の元で治療に専念することに決め、進学も就職もしなかった。
 そして一年。彼はようやくセンター試験を終えた。
 最後の三ヶ月ほどは勉強に集中するため殆ど会わなかった二人が久々に待ち合わせ「お疲れさま」の食事でも、ということになった。

「そうそう、これ、ありがとう」
 ファーストフードのレストランでメニューが運ばれるのを待つ間彼が可愛くラッピングされたボトルを差し出した。彼女が「なぁに?」と開くと琥珀色のボトルに中国風のあでやかなラベルの瓶があらわれた。
「いやだ、わざわざ新しいの買ったの?」
 くすくすと笑いながら「ありがとう嬉しいわ」と小鳥のように囁く彼女に彼は少しだけ照れて耳たぶを掻いた。
「先輩が時々酒飲んでるって聞いた時はびっくりしたけど、こういう酒もあるんだなってまたびっくりだったよ」
「お父さんが私の体の弱いのを気遣って滋養にいい、体の温まるものをって高校入学した頃勧めてくれたの」

桂花陳酒

 そもそもは楊貴妃が自分の美と健康を保つために作らせた、白葡萄酒に金木犀を漬け込んだリキュールである。
「酒って苦いもんだと思って覚悟して飲んだらえらく甘くてさらにびっくりの二乗だったよ」
「でも勉強終わってちょっとだけ飲むとリラックスして疲れ取れるでしょう?」
「あぁ。毎日は飲まなかったけれど試験で不安な時とかイライラした時に飲んで眠ったらすごくすっきりと朝起きれたよ」
「これはね、お猪口一杯程度、が一番効くのよ」
 笑いながら話すうちに料理が運ばれ話題はこれから大学に入ったら、等の未来を語る内容に変わり始めた。

 そして数年後、徐々に体も元気になって事務のアルバイトなど彼女は始め、彼は就職してそれなりの収入を得るようになった。
 そして、二人は夫婦となった。

 が、二人の幸せは長くなかった。

 彼女を連れ去ったのは彼が一番心配していた病気では無く、一台の信号無視の車だった。

 彼はシキビや菊ではなく彼女が大好きだったネコヤナギを抱えて墓の前で佇む。そっと墓標の前に供えるとあの日の彼女の笑顔が蘇る。
「ネコヤナギというのよ」
 花言葉を「率直・自由」という。その通りの人だった。体こそ弱かったがいつもはっきりと自分の意見を言い心のとても自由な女性だった。

 葬儀から二年が経ち、それでも変わらず彼女を妻と呼び続ける彼に、彼女の両親は体の弱かった娘に幸せな家庭生活を与えてくれたことを感謝し、二人に子供が出来なかったことが不幸中の幸いと、彼に「いつか気持ちが整理できたら今度は健康な女性と再び人生を歩みなおしてください」と申し出た。

 いつか……そういう日が来るのだろうか。
 こんなにキミは僕の中でまだ生きているのに。
 例えいつかそういう日が来るとしても今はまだキミは生きているから。
「キミの大好きだった桂花陳酒だよ」
 彼はそこにあぐらをかき懐から小さなグラスを二つ取り出し琥珀色の液体を注いだ。
 キミが僕の中で生きている間はこのねこやなぎの季節にこの木の下でキミとこの酒を飲むことを許してくれるかい……?


酒提供sora様 多謝!
<2006.2.3>