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お酒を飲もう!

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美味しい4月

やぁお客さん方いらっしゃい。
お連れのお嬢さんはこちら初めてですよね?今夜は女2人で呑み明かしですか?いいですねぇ。むさ苦しい店が華やかになって嬉しい限りで。
はい?誕生月のカクテルサービスですか?えぇ勿論承っておりますよ。お連れさん今月誕生日で?それはおめでとうございます。
に、しては何だか浮かないお顔で……まだ「誕生日が嬉しくない」なんていうお年ではないでしょう。
あぁはいはい、お仕事でですね。新入社員の指導やってらっしゃる?それはまた大変でしょう。って、そういうわけじゃない?
若い新人さんのパワーに押されて疲れちゃったって……そんなまだまだお若いんですから。
さてさて、はいはい、カクテルですね。
そうですねぇ4月って言うとどうしてもチェリーブロッサムとかキールみたいなイメージですけど……そうだなぁ……

「ダイヤモンドダスト」

どうです?すごいでしょう、きれいでしょう。
底の方の青いリキュールが上に行くほとだんだんと白くダイヤモンドダストのようにキラキラ輝いて。
楊貴妃の愛したライチで作られたライチリキュールにピーチツリーリキュール、グレープフルーツジュースに生クリームをシェイクしてグラスに注ぎ、最後にブルーキュラソーを静かに注いで少しだけステア。
辛口系の味に見えるかもしれませんが呑口は甘くふんわりと優しいですよ。
ええ、ダイヤモンドダスト、勿論4月の誕生石のダイヤモンドを絡めてますけど、これって氷点下20℃以下の厳しい寒い中でしかも晴天の日にだけしか見れない大自然の風景なんですよね。
長年きちんと仕事を勤めてご自分を磨くことも忘れずに頑張ってきた貴女の中にも、年齢を経た分、それこそダイヤモンドダストを見るために極寒の吹雪の中晴天を待ち続けるような辛いこともあったでしょうが、積み重ねられた人生経験に相応しいだけのこの輝きと、そしてこの柔かい味があると思いませんか?
勿論、長く歴史を刻まれたご夫婦の記念日のような大切な日の乾杯の一杯にも相応しいカクテルだと思いますよ。

そうですね、硬いお話ばかりじゃつまんないかな?
では今夜はまた違った意味で春らしいカクテルをひとつ。

「たんぽぽ」

白ワイン、梅酒、焼酎、オレンジビターをステアし、レモンビールをゆっくりと浮かべると、はい柔らかで透明感のある春色のカクテルのできあがり。
焼酎と梅酒がミックスされたちょっと珍しい和風テイストなカクテルです。
でもこれ、見た目は可愛いけどちょっとキツのいで要注意ですよ。ピリッとしっかりお酒の味がするでしょう。
こういうのも、あれですね。いろんな経験をミックスして下の人を指導してあげれるくらいピリッと成熟した人間になった中身を上手に柔かいお陽様色で包むことができる、いわば大人の余裕のカクテルだと思いませんか?
どちらも今のお客さんに相応しいお酒だとアタシは思いますがね。

さて、軽い肴でも出しますので、今夜はゆっくりお誕生日を祝ってください。
スモークサーモンのいいのが手に入ったから薄切りのパンを軽く焼いて粒胡椒と一緒に乗せて、思いっきりがぶっといっちゃってください。えぇこのカクテル2杯とこの1品は今夜のお誕生日サービスってことで。
サービス良すぎます?大丈夫。その代わりまた何かお祝いとかあった時はぜひうちでお願いしますから、どうぞ今夜は遠慮なく。

<2005.4.20>

32
ミントグリーンの風

やぁこんばんは、お客さん。
今までお仕事ですか?また随分遅くまで。GWも終ってまたお仕事お仕事の毎日ですねぇ。
連休はどうでした?少しは休めたんでしょうか?
はい?家族サービスでくたくた?仕事の方がずっと楽?またそんな……独り身のアタシにゃ羨ましいお話ですよ。
まだお子さん小さいんですよね?七歳と五歳で。まぁもう後何年かして中学生にもなれば連休はお子さん自分で勝手に予定立てて遊びに行って、どこか連れてっても何も無くなるって話ですから、家族サービスでクタクタの連休もあとちょっとのモンでしょう。
それにしても?はい?
あぁ、連休明けで部下の皆さんがダラけちゃったって?それもよく聞く話ですねぇ。俗に言う五月病ってやつですかね?
まぁそんなにぶつぶつ言わないで。
仕事初めて二年や三年の若い人ったらそんなもんですよ。
まだまだ責任のある仕事任されるわけでなし、家族養うわけでなし、長い連休で気分が学生に戻っちゃってまた社会人に染まり直すまでそりゃ時間もかかりますよ。
いいじゃないですか、中にはそのまま会社辞めちゃっう人だっているってのに辞めようって人はまだ居ないんでしょ?
いろいろ教えて、さぁこれから戦力になってもらわなきゃって時に辞められちゃたまりませんからね。
それにしても今時の若者は……て?
はいはい、とりあえず何かお呑みになりませんか?
そういえば今夜も雨ですねぇ、これから梅雨に向かって雨の日も増えるんでしょうねぇ。
こんな休み明けのじとじとな夜をぱーっと晴らしてくれる一杯ですか?
そうですねぇ……こんなのはどうかな?

「エメラルドクーラー」

ドライジンにグリーンミントリキュール、レモンジュースと砂糖少々をシェイクして長細いグラスに移しソーダで満たし、薄切りのレモンとミントの葉を添えてさぁどうぞ。
見事に鮮やかな緑でしょう。緑ったら癒し効果なんてのもあるらしいですね。
このグリーンミントにはチョコレートなんか合うんですよね。お洒落にマルコリーニなんかどうでしょう?ベルギーのチョコなんですけどね有名なのはゴディバやヴィタメールにガノンなんかでしょうか?
でもマリコリーニはベルギーチョコ特有の強い甘みや濃厚さがあまりなく、小粒でしっとりとした感触ですね。ベルギー特有の詰め物をしていないっていうのも特色でしょうか?
いや、ちょっと先日頂き物でありましてね、このチョコ。それ以来肴にいいなぁと思って凝ってるんですよ。
さてさて、エメラルドクーラーはいかがです?
エメラルドといえばそうですねぇかのクレオパトラもとても好んだ宝石ですが、知ってます?
エメラルドの原石には不純物がとても多く含まれた状態で発掘されるんだそうです。発見される時は傷があったり、まぁキレイな状態ではないらしいですね。
だから、この涼しげな美しさゆえイミテーションも多く出回っているエメラルドの偽物本物を見極める基準は、中に入っている不純物の存在なんだそうですよ。
「不純物の入っていないエメラルドは欠点の無い人間を探すようなものだ」と西洋では言われるそうですよ。
まぁ、この宝石を愛した世界の三代美女と呼ばれるクレオパトラも最後は不幸な亡くなりかたで、愛さえも自由ではなく、とにかく全てに完璧では無かったのですよ。完璧な美女と言われながらも人生には多くの穴があったのでしょうと、思いますがね。
まぁ人間やってればいろいろありますよ。
五月病あり、家庭持ってるしんどさあり、独身にしても気楽さ故の悩みあり、てね。
どうです?エメラルドクーラー。
長い連休後のぐずぐずもこれからやってくる梅雨の鬱陶しさもふきとばしてくれそうな爽やかな色と味だと思いませんか?
まぁ、この一杯はアタシのご馳走ってことで、とりあえずまた明日から、元気だしてみましょうや。
えぇエメラルドだって不純物あってこその宝石ですからね。
いくらでも愚痴でも何でもどうぞ。
そして後にはミントグリーンの風が吹くのです。
なんてね、ちょっとカッコつけすぎですね。


<2005.5.18>
33
6月を爽やかに

やぁお客さんいらっしゃい……おや今夜はお一人ですか?めずらしい。いつもご一緒のお友達は?
はぁ、奥様がご出産で。そりゃおめでたい。じゃあしばらくはお友達、仕事終わったらまっすぐご帰宅ですね。寂しいですか?まぁそうおっしゃらずに、お客さんだって今は独身だけどいずれ同じ立場になる日が来るんですから。
まぁ今夜はお友達のお子さん誕生を祝して一杯やりましょうよ。乾杯の酒のご希望は?
はい?お祝いにふさわしい一杯ですか?出産のお祝いならそりゃ酒じゃなくてベビー用品でしょう、違う?お友達がまた一緒に呑みに来られるようになったときに改めて祝う為の酒?あぁ普通のお祝いはもうしてあるんですね……
そうですねぇ、父親になった友人に贈る一杯……これなんてどうでしょうねぇ?

「スプモーニ」

氷を入れたグラスにカンパリとグレープフルーツジュースを入れ、トニックウォーターを満たし、軽くステアしてできあがり。
え?カンパリなのに色が赤くない?
はい本来は赤いカンパリで作るのですが今回は特別にこれを使いました。
「カンパリ(白)」
もともとは「ビッテル・アルーソ・ドランディア」(オランダ風苦味酒)という名称で売り出されたのですが後にカンパリと代わったのですよ。
普通の赤に比べて苦味も少なくてほんのりラズベリーが香るやわらかいリキュールです。
お友達のお子さん、6月生まれなら誕生石は真珠ですよね?ちょっと深海の真珠をイメージしてアレンジしてみました。
真珠ていうのは本来貝の中に異物を埋め込んで長い時間かけて貝自らの分泌物で包んでできあがるものなんですね。
埋め込まれた異物を美しいひとつの球へと変えてゆくのに伴う痛み。それを乗り越えて産み出される一粒の宝石。これが人間でしたらそうとうの我慢強さと生命力をもっていることになりますよね。
これって何だか産みの辛さや苦しみを喜びに帰る女性の強さと重なりますよね。
他にも、月の満ち欠けに支配されることから妊娠のお守りともされていますし、そういう事から女性特有の病気や悩みまたは長寿の護符とされたりもします。
って言うと女の子向きで男のお子さんには向かない贈り物のように思われるかもしれませんが真珠ってのはそれだけじゃないんです。
この石、古くからアクセサリーとして扱われるのが確かに一番多いですが、実は薬としても使用されているんですよ。
解熱や風邪に効果があるそうです。と、同時に狂気を静めるともいわれていますのでこれからのストレス多い時代にはうってつけの石かもしれませんよ。ストレスで爆発しそうになった時、ひとかけ粉にしてスプモーニに混ぜて呑む。
うーん、何だかおしゃれでとても狂気の薬とは縁が無いイメージですが。そうそう、あの真珠をワインに溶かして呑んだクレオパトラの伝説の方がふさわしい感じですね。
え?ストレスからくる狂気を静めるのなら友達の息子より自分に欲しいくらいだって?やってみます?真珠入り真珠色のスプモーニ。大丈夫、安物の真珠ですけどちゃんと用意してますよ。ええ勿論こういう時のパフォーマンス用に用意したんです。
安物というか、俗にいうクズ真珠ってやつですね。形や色が悪くてアクセサリーとして出荷できない真珠。真珠ってのは粒の大きさや色形がそろってナンブらしい物だそうで、小さすぎたり形が悪いものだととても安く手に入れることができるんですよ。だけどそんな真珠でも薬として効果があるなら十分に価値があるわけでして……むしろアタシなんかはアクセサリーとしてよりそっちの効用に価値があると思いますがね。
どうです?スプモーニ。
グレープフルーツのすっぱさとトニックウォーターの軽い苦さがとてもよくマッチしていて爽やかでしょう。
これから梅雨に入る6月だけどそのじめじめなイメージも吹き飛ばしてくれそうな爽やかさだと思いませんか?
はいはい、もう一杯ね。
って、これでもう6杯めですよ。
いくら薬用効果のある真珠でも二日酔いまでは面倒見てくれませんよ?


<2005.6.15>
34
甘い友情

やぁいらっしゃいお客さん。今夜は随分お早いですね。えぇ大丈夫、もう開店してますからどうぞご遠慮なく。
まだ時間も早いことですし軽くビールでも呑りますか?
これから食事によばれてるので軽く食前酒になるものが欲しい?いいですねぇお食事ですか。フレンチか何かで?特に何料理ってわけでもなく?なるほど、お友達の誕生会なんですね。じゃ、ぱぁっと無国籍なレストランあたりで賑やかに、ですね。 では軽〜く甘口のポートワインでも呑きましょうか。

「ポートスミス」

なんてね、かっこつけた名前なんてついたカクテルですけど実はとても単純。
ロック・グラスにクラッシュアイスを詰めてポートワインを注いで最後にちょっとオレンジ・ツイストを絞っただけの代物なんで、要するにポートワインのロックみたいなもんです。グラスにクラッシュドアイスを詰めるとグラスの表面が霧がかったように冷えることからこの名前がついたらしいですねぇ。
えぇもちろん「ポート」はポルトガルの酒ポートワインのことです。
甘いけど呑み口はさっぱりしててちょうど良い食前酒でしょう。
お誕生日のお友達ってのは会社の同僚で?違うの?中学時代からの友達ですか。そりゃまた長いお付き合いですねぇ。
へぇ、仲の良かった三人組で高校も同じだったけど大学で別れる時に、年三回の誕生日、誰かに彼氏が出来るまでは必ず集まってお祝いしようって決めたんですか。
ん?っていうことは高校卒業して…ン…年間皆さんお独りで?あぁそういう訳でもないけど…ですね、こりゃ失礼。
なるほど、彼氏が出来ても何となく誕生日は三人で集まっちゃうのね。
でも…?どうしたんですか?何か困ったことでも?
えぇ!そりゃホントに困った。仕事が忙しくてプレゼント用意できなかったなんて。この時間ならまだ開いてるちょっと気の利いた店あるでしょう、こんなトコで呑んでないでささっと買ってきなさいよ。はい?食事会の前にここに寄ったのはその為で?
はぁなるほどなるほど、お酒の好きな友達だからヘタにショップで悩みながら探すよりここに来た方が早く決まると思ったから、ねぇ。そりゃ確かに。
だったら今お客さんが呑んでるやつなんてまさにぴったりだと思いますよ。えぇ、このポートワイン。

「コバーンファインルビーポート」

ポートワインはポルトガルの港町ポルトに由来するワインで、コパーン社のこいつはこの美しいルビーの赤と若々しい味でポートを好きな人たちの中でも特に人気のある一品なんです。
ルビーは七月の誕生石でもありますし、ちょうど良いと思いますよ。
かの軍神マルスが宿ると信じられて古代ギリシャでは兵士たちの護り石だったそうですね。特にその時代では神々の血が結晶されたものだとされて、大きなルビーを持っていると神々に護られて財産も名誉も奪われることなく、あらゆる危機や天災から逃れ生涯平和に過ごすことができると信じられたそうですよ。意味も権力や富の象徴であったり情熱や闘争心を司るとも言われてますね。
そんな石と同じ名前で同じ赤いワイン、そのまま呑んでもよし、炭酸で割ってもよし、ちょっとお洒落にこいつとジンとオレンジビターズをシェイクして「プリンストン」なんてカクテルもできちゃうし。
部屋に一本置いとくと特にこれから暑くなって疲れたりして食欲の無くなっちゃった時なんかに軽く一杯やれば何となく何か食べようかなって気になる味でしょう。
えぇ封の切ってない新しいボトルがありますから、どうぞお持ちください。
燃える太陽のような赤い石をイメージした、それでいて友達を思う気持ちのこめられたやさしい甘い酒、七月産まれのお友達にはぴったりだと思いますよ。
ただ残念ながら箱が無いので…そうだ、代わりに書中見舞いに頂いたこのお花のリボンをボトルネックに添えて…こんなもんでどうでしょう。
では食事会、楽しんでらしてくださいね。いってらっしゃい。


<2005.7.5>
35
そらからの緑

やぁお客さんいらっしゃい。毎日暑いですねぇ。
えぇうちは初めましてのお客様大歓迎ですよ。どうぞ遠慮なくお座りください。
はい?お金のお持ち合わせが?うーん、そりゃ……え?代わりにこれで一杯ですか?
あぁ、ペリドットですねぇ。うーん、でもアタシには宝石鑑定する眼が無いもんで…一杯だけでいいから、ですか…
しょうがないなぁ、一杯だけってお約束ですよ?なにせ8月の誕生石はペリドット、こんな月にこんな石を御代代わりに持ってこられるってのも何かのご縁でしょう。その代わり、この一杯はアタシに選ばせてくださいね。

「スカイボール」

こいつは可愛いカクテルグラスなんかで呑むやつではなくて、こういう、銅製のマグカップに直接材料を入れて作ります。まずはウォッカ、少量のライムジュース、そこに半切りのライムをぎゅっと搾り、炭酸とトニックウォーターを注いで最後にさっき絞ったライムをごろんと浮かべて、はいどうぞ。
えぇ、シェイクはもとよりステアもしません。好みのウォッカを爽やかにライムと炭酸でいただくカクテルなんです。この爽やかさはまさに夏の飲み物だと思うんですが、どんなもんでしょうね。
浮かべたライムがお客さんのこのペリドットみたいできれいでしょう。
まぁ、ただ呑むだけってのもナンだから肴に枝豆でもどうぞ。アタシのアパートの大家さんの畑で取れた枝豆なんだそうですよ。
枝豆は栄養もあるし、夏の疲れがピークになる盆過ぎにはそりゃありがたい肴ですよ。そういえばこいつもペリドットならではの緑の輝きですよね。
はい?宝石の話ですか?
そうですねぇ、ここ一年、誕生月のカクテルなんてイベントをやってましたので結構誕生石にまつわる話や言い伝えには詳しくなりましたが……はい?この石の話を聞かせて欲しい?私の知ってる程度の話でよければですが……
確か……この石は火山の宝石と呼ばれて火山の岩石の中からしばしば発見されるんですよね。有名なとこではハワイの火山でしょうか。ペレという女神の涙とも言われたくらいでハワイのペリドットは有名で。もっとも、今ではハワイの土産屋で売られているやつの殆どはアリゾナのものだそうですがね。
火山の石と言えば、この石は夜暗くなっても輝きを失わず見ることができるとかで、古代ローマでは「夜の宝石」とか言われて教会の装飾にもよく使われたそうですよ。エジプトでは「太陽の石」とも。
……てな感じでしょうか?
あぁ、他にも、悪魔を追い払う力を持っているとかって話もありますね。光を導き夫婦の和合のお護りなんかとしても使われるそうですよ。
って、お客さん何だか嬉しそうですねぇ。
うん?この石の事を褒められてるみたいで嬉しい?そりゃまた…よっぽどペリドットがお好きなんですね。そういえばお召しになっている服も優しくて穏やかな深い緑ですね。
あぁ、もしかして8月産まれですか?お客さん。でしたらこの一杯はサービスですよ。毎月誕生月のお客様へはその月にちなんだ一杯をサービスしてるんです。ですからどうぞその石はお収めください。
……あぁ、いらっしゃい。
お客さん、話の途中で申し訳ない、ちょっとごめんなさいよ、と……
やぁこんばんは、今日もほんとに暑かったですねぇ……
……
あぁ、すみませんねお客さん、ほったらかしにしてしまって……
あれ?お客さん?
変だなぁ……トイレにでも……居ないなぁ……石は、置き去り……
え?えぇ今までここに居たお客さんが居なくなっちゃったんですよ。って、アナタが入って来た時には誰も居なかった?そりゃまた妙だなぁ。ほら、カクテルはしっかり呑まれてるのに。
えぇ、ペリドットの話なんかを少々ね、してたんですが。
……またぁ、嫌だなぁ冗談言わないでくださいよ。宇宙人なんて居るわけないでしょう。
はい?ペリドットは宇宙からやってくる隕石にも含まれる鉱物だから、うっかりそいつにくっついて落ちてきてしまった奴が星へ帰る前に一杯呑りに来たんじゃないかって?
またそんな夢みたいな話……
ま、とりあえず、この石は置いときますかね。もしかしたらまた呑みに来るかもしれないし、その時にでもお返ししましょう。
今度その人が現れた時、酔っ払って本当の姿を見せてくれるかも……て、もう、いい加減にしてくださいよ。そんなこと、あるわけないでしょう。
さ、お客さんは今夜は何をお呑りになるんで?


<2005.8.18>
36
秋桜揺れて

『秋は嫌い』と彼女が言った。
 子供の頃、兄が入院していた療養所の窓から見える丘の向こうに秋になると淡い桃色と白のその花が咲き乱れていた。花は池の周りをぐるりと取り囲むように群生していて、遠い病棟の窓の向こうに住む先の望みの途切れた患者をゆらゆらと揺れながら誘い引きずり込むように池に飲み込んでいったのだと。
『貴女のお兄さんも?』思わず無神経な一言を口走った彼に店のマスターがカウンターごしに目配せをする。『あ、しまった』心の中で後悔をし慌てて、けれどどう謝罪したものか困ってしまって彼は小さく『ごめん』と一言言ったきり口を噤んでしまった。
『いえ、いいんですよ、兄は結局完治して退院して、後に結婚して子供もできて、幸せな生涯を送ることができましたから』
『できました』という過去形がひっかかりながら、けれど彼はもう軽はずみに口走ってあまり印象を損ねるのはごめんだと思い『それはよかったですね』当たり障りのない返事を返す。
 事は彼が馴染みのバーのドアを開けた瞬間から始まった。出張でもない限り時間が無い時でも一杯だけはと必ず日参しているその店のカウンターに、見慣れない女性がひっそりと佇んでいた。彼は彼女を見た瞬間からそわそわと落ち着き無く、さりげなくマスターと『さすがに朝晩は冷え込むようになったね』などと軽く会話を交わしながらさりげなく彼女の隣に腰を下ろし『そういえば向こうの空き地できれいな秋桜が咲いていたから一本拝借しちゃったよ』とコップに水を入れ飾ってくれと差し出した。マスターも快く『季節だもんねぇそりゃ風情があっていいもんだ』と細長いシャンパングラスを惜し気もなく持ち出し花を活け二人のちょうど真ん中にコトンと添えた。
 彼は軽くビールから始め、店の中に漂うアルトサックスを堪能しながら彼女を意識する。マスターが『そういえば二人とも結構うちには来てくれるのに会ったのって今夜が始めてなんじゃない?』と切り出したのに乗じて話しかける。
 とりあえず今かかっている曲が使われた映画の話などから。
 そして彼女のカクテルグラスが空いたのをきっかけに『よかったら次のカクテルは僕にご馳走させてもらえませんか?お互い常連だったにも関わらず今まで会えなかった二人が会えた記念に』彼女は『面白い人ですね』と笑いながら彼の申し出を断らなかった。
『じゃぁ、あれかな……』

「秋桜」

 マスターが説明したい気持ちを抑えて彼にカッコいい役を譲ってくれた事に感謝の目配せをしながら意気揚々と説明する。
『これはウォッカをベースにグレナデンシロップとピーチリキュールで色と味を調えて、爽やかに甘く軽やかに涼しげに、秋桜をイメージしたカクテルなんですよ。この秋の出会いを乾杯するのにまさにぴったりだと想いませんか?』
 秋桜の……というくだりで彼女の表情が変わった。申し訳なさそうに沈んだ声で……
『私、秋は嫌いなんです。特に秋桜は……』そして彼女の打ち明け話が始まった。
 彼女のその話を知らなかったマスターも『こりゃ悪い演出をしちまったなぁ』と罰が悪そうに目の前に揺れる桃色の一輪を下げようとそっと手を伸ばしたその時、彼女はそれを制して『いえ、この花が悪いわけではないのですもの、マスター、そのカクテルぜひ作ってくださいません?』と微笑んだ。『でも』と戸惑うマスターと彼に『あのたくさんの患者さんを絶望と一緒に飲み込んだ池の辺に咲いていた、ただその思い出だけで嫌ってしまっていた花ですけど、こうして見ると本当にこの花には罪はなかったのですもの。きれいで可愛い素朴な花なのに、嫌ったりして……私ずっとこの花に対して悪いことをしてしまっていたわ』
 それなら、と逆三角のカクテルグラスに注がれた上品な淡いピンクの酒を差し出される。彼女は一口を含みゆっくりと味わった後で『美味しい、本当に穏やかな秋にお似合いの涼しげな味ですね』と微笑んだ。
 ほっと胸をなで下ろす彼とマスターに『今日はなんだか昔のわだかまりまで溶けたようで、ありがとうございます』と目の前の一輪から花びらを一枚摘みカクテルの残ったグラスに浮かべくっと一息で呑み干し『ありがとう』と席を立った。
 その去り際があまりにも自然で上品だったので……ついうっとりと彼は後姿に見惚れてしまい……
『名前聞くの忘れちゃったよ!ねぇマスターまた会えるかなぁ』情けなく肩を下ろしてしまった。
『いや、彼女とはすれ違うだけでよかったんですよ……』
『そんなぁ、あんな清楚で上品な秋桜の似合う女性、そう滅多に出会えるもんじゃないですよぉ』
 ビールの次に注文したバーボンのロックをぐっとあおりながら愚痴を始める彼に宥めるでもなくマスターが呟いた。
『彼女ね……何であんな結核の保養所の話だとか詳しく知ってたと思います?今時保養所なんて言葉使う人居ませんよ。そう、お客さんと同じ年頃の娘さんなら保養所なんて言わずに病院って言うものですよ……アタシの言ってる意味、解ります?』
『てことは……』
『はい、彼女、とっても若く見えますけどもう六十過ぎてるんですよ……旦那さんに先立たれて今はお一人だからまぁお付き合いするに障害はありませんけどね』
『マジですか……』
 彼女の年齢を知って呆然とする。
『確かに自分より年上かなぁとは思ったけど……いや、年の差三十程度なら大した問題じゃ……いや……』
 葛藤する彼の前で花びらの一枚欠けた秋桜が慰めるように揺れた。
 マスターも『ま、この一杯奢りますから気を落とさないで』と彼女が呑んだものと同じ淡いピンクのカクテルを差し出した。彼は彼女と同じ仕草でもう一枚花びらを摘みそっと浮かべてそれを呑み干した。
『ま、季節の変わり目は、いろいろあるもんですよ』
『そうだねぇ季節の変わり目だもんねぇ……って、マスター最初から思わせぶりな協力みたいなことしてないでさっさと教えてくれりゃよかったんじゃない!』
『いいじゃない、おかげで彼女の嫌いだった秋と秋桜がそう悪いもんではないもんに昇格されたんだから』
『そういう問題じゃないでしょう!』
『まぁまぁ落ち着いて、何か食べます?』
 長い長い秋の夜、ちょっとしたドラマの一つもあったっていいもんですよ、ね?と、二枚の花びらを失った一輪が微笑むように二人の間でまた揺れた。


<2005.10.1>